TRENDIA CLASSIC

葬制の沿革について

柳田國男

1 / 30

會員としての我々の經驗から言ふと、學會が榮えるといふことは、必ずしも精透の研究を以て、後代の目標を打立てる迄の重要論文が、連續して出現することを意味しては居なかつたやうである。理想は固よりそこに在るべきであるが、それには時期もあり又外部の機會を伴なはなければならぬ。今少しく卑近なる要件は、會員が單なる讀者となり又は普通の豫約者となつてしまはぬことで、共同の興味が或一隅に傾注せず、寧ろ幾分か雜駁で且つやゝ移り氣に見える位に、毎月の題目が變化して行くやうな際が、實は次の進出を孕んだ最も活氣ある時代なのである。求めて此状態を招致することも、決して會報の墮落といふことは出來ない。現にこの會でも過去に幾度と無く、さういふ傾向を呈したことがあり、今から囘顧するとその頃の方が會員らしい會員が多かつた。人類學の前面が本來は弘いものであること、從つて偶然に又散漫に我々が抱いて居る個々の小さな疑問の中にも、まだ幾らでも學問上の疑問があり得るといふことを、出來るだけ意外な實例に由つて心付かせて貰ふことは、所謂追隨を許さぬといふ學者の深入した指導よりも、全體の效果は時として大きかつたのである。

柳田國男の他の作品