幻覚の実験
本文約3,500字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
下総布川で少年時代を過ごした著者が、祠の石や土中から現れた寛永通宝への感動の直後に白昼の空に星を見た自身の幻覚体験を綴る。本書はこの個人の体験を起点に、信仰心や地域の伝承が人々の心理や社会的な状況とどのように結びつき、不思議な現象が語り継がれていくのかという構造を論じる。民俗学的な観点から、説明のつかない神秘的な出来事を客観的に記録し、その背後にある心理的・社会的な条件を解明することの重要性を説く。
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これは今から四十八年前の実験で、うそは言わぬつもりだが、余り古い話だから自分でも少し心もとない。今は単にこの種類のできごとでも、なるべく話されたままに記録しておけば、役に立つという一例として書いてみるのである。人が物を信じ得る範囲は、今よりもかつてはずっと広かったということは、こういう事実を積み重ねて、始めて客観的に明らかになって来るかと思う。
日は忘れたが、ある春の日の午前十一時前後、下総北相馬郡布川という町の、高台の東南麓にあった兄の家の庭で、当時十四歳であった自分は、一人で土いじりをしていた。岡に登って行こうとする急な細路のすぐ下が、この家の庭園の一部になっていて、土蔵の前の二十坪ばかりの平地のまん中に、何か二三本の木があって、その下に小さな石の祠が南を向いて立っていた。この家の持主の先々代の、非常に長命をした老母の霊を祀っているように聞いていた。当時なかなかいたずらであった自分は、その前に叱る人のおらぬ時を測って、そっとその祠の石の戸を開いて見たことがある。中には幣も鏡もなくて、単に中央を彫り窪めて、径五寸ばかりの石の球が篏め込んであった。不思議でたまらなかったが、悪いことをしたと思うから誰にも理由を尋ねてみることができない。ただ人々がそのおばあさんの噂をしている際に、いつも最も深い注意を払っていただけであったが、そのうちに少しずつ判って来た事は、どういうわけがあったかその年寄は、始終蝋石のまん丸な球を持っていた。床に就いてからもこの大きな重いものを、撫でさすり抱え温めていたということである。それに何等かの因縁話が添わって、死んでからこの丸石を祠にまつり込めることになったものと想像することはできたが、それ以上を聴く機会はついに来なかった。