TRENDIA CLASSIC

魂の行くへ

柳田國男

1 / 11

盆のお精靈を、山の嶺へ迎へに行くといふ風習が、大野郡下荒井の部落にあるといふ簡單な記事は、私たちにとつてはかなり貴重なものである。越前では今もまだ先祖の魂が、山の高い處に留まつて居て、盆にはそこから子孫の家を訪れて來るといふ信仰が、そちこちの山村に保存せられて居るのではあるまいか。何とかして誘導尋問の形でなしに、諸家の故老の言ふところを聽き集め、それを綜合して見たいものと思ふ。

昭和二十年の秋、自分が世に送つた「先祖の話」といふ本には、古來日本人の死後觀は此の如く、千數百年の佛教の薫染にも拘らず、死ねば魂は山に登つて行くといふ感じ方が、今なほ意識の底に潜まつて居るらしいと説いておいた。是にはさう思はずには居られない數々の根據があり、決していゝ加減な空想ではなかつたのだが、何分にもその一つ/\の證據力が弱く、日頃耳に馴れて居る天上地底の後生説を、打消してしまふには足りなかつた。是からさき我々がどちらを信じてよいかの問題とは關係なく、かつてこの國の住民の多數が、どう思ひ込んで居たかは事實なのだから、二つとも本當だといふことは無い筈である。それを決定しようとすれば、この越前の風習は粗末にならぬ資料である。

現在の盆の魂迎へは、通例は廟所、即ち石塔の在る處へ行くことになつて居る。墓も動け我が泣く聲は秋の風などといふ句さへあつて、故人の靈もまた土の中に休んで居るやうに、推測する者が段々と多くなつたやうに思はれる。しかし誰でも知つて居ることは、石碑を一人々々の死者のために、建てるやうになつたのは新しいことである。古いといつても元祿以前の石は甚だ少なく、日清戰後の頃から、急に個人のものが多くなつたが、それでもまだ共同の墓地に送られ、追々に其場處の知りにくゝなるものが相應にあり、しかも盆の魂祭りをせぬ家は、村方には少ないのである。どこへ精靈さまを迎へに行きますかといふ問ひは、民俗學の仲間には屡必要であつた。

柳田國男の他の作品