TRENDIA CLASSIC

幽靈思想の變遷

柳田國男

1 / 6

一 土俗の荒廢と葬儀

今年などは、自分の此官舍の前の大通りを、所謂赤毛布式の東京見物が少くとも二萬人は通つて居る。今日のやうに地方人の旅行が、殊に大都會との交通が盛んになつては、數百年間何の變化なしに保存せられて居た土俗の消えるのは、瞬くの間であらうと思はれる。

實際又近年になつて、古い習慣の無くなつた實例は、無數にあるのである。中にも暦の改正に伴ふ正月の儀式、若連中が青年會となつた結果としての戀愛方法の變化などは著しいものであらうと思ふ。唯その中で變り方の少からうと思はれるものは一つある。それは葬式の前後に於ける各種の行事である。

此理由は恐らくは、心理學者のたやすく説明し得るところであらうと思ふ。多くの場合の葬式には、事前の計畫と云ふものはない。死亡と云ふ大事件に伴ふ個人竝に一般の不安がある。それから死ぬ者は多數が老人で、暗々裡に舊物、舊制度に對する尊重を要求して居る。

從つて他の生活行爲、例へば赤坊の宮詣り、娘の嫁入りなどには三越で仕度をしたり、元服の褌は在來の猿股で濟ませたりする家庭でも、年寄が死ねば家人が引込んで悲んで居るうちに、近所の者が來て前年他の家で實行した通りの儀式を以て、野邊送りをしてしまふ。これが少くも一部の理由であらうと思ふ。

併し無意識に古風を遵奉して居る葬送の手續のうちには、いくらも前代民の死と云ふものに對する思想の痕跡を見出す事が出來るものであつて、我々は東京の大都會を取り圍む村、甚しきは市中を歩いて居ても、心掛一つで今尚フオークロアの資料を集める事が出來る。これは最近の研究旅行に於て、一層深く自分の感じ得たところである。

二 内郷村の竹串

例へば内郷村に我々が滯在して居た十日の間に、軍艦河内の殉難者の空葬があつた。葬儀は常に、喪家の外庭に於て行はれる。色々の注意すべき變つた設備があつたが、就中珍しいと思つたのは、門の外に僅かの芝土を盛つて、墓標の如き一本の柱を立てる。柱の頭には小さな制札が打ち附けてあつたが、其意味は問ひ糺す事が出來なかつた。

柳田國男の他の作品