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TORENDIA

抗議する義務

本文約3,700字 ・ 読了時間 約8分

あらすじ(AIが作成しました)

電車内での割り込みを黙認する日本人の傾向を例に、不正に対して抗議することは権利ではなく道徳的な義務であると説く。著者は、自身の被害が及ばない場合に見て見ぬふりをするのは利己心によるものだと指摘する。また、英国の事例を引き合いに出し、筋の通った抗議とそれに対する対話という、当然のことを当然に行う重要性を論じる。さらに、自ら事象を観察し考える姿勢こそが科学的精神の根幹であるとし、社会の健全な発展には国民一人ひとりが主体的に判断し行動することが不可欠であると結論づける。

中谷宇吉郎

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🎧 抗議する義務 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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畏友Y兄から、いつか面白い言葉をきいたことがある。それは「日本人はどうも抗議する義務を知らないから困る」というのである。

これはなかなか味のある言葉で、何か不正なことがあった場合に、それに抗議を申し込むのは、権利ではなくて義務だというのである。

例えば、電車に乗る場合に、乗客が長い列を作って待っている。やっと電車が来て、乗客が順々に乗り込む。その時脇からうまくその列に割り込んで、電車に乗ってしまう人がよくある。そういう時に、特に婦人の場合などには、自分の前に脇から一人くらい割り込んで来ても、一寸いやな顔をするくらいで、そのまま黙ってその人について乗ってしまうことがよくある。

この場合、その人はもちろん「横から割り込んではいけません」と抗議を言うべきなのである。それを、ずるずるに黙許してしまうことは、一つの道徳的な罪悪であることを、よく承知すべきである。一人くらいのことに、無闇とやかましく言うことを、何となくはしたないように考えるのは、大変な間違いなのである。これははしたあるとかないとかいう問題ではない。実は非常に利己的な考え方が、その人の心の底に意識されないで潜んでいるのであって、その点によく注意しなければならない。

というのは、脇から誰かが割り込んで来ても黙許してしまう場合は、自分もその人について電車に乗り込めることが明白な場合に限るからである。もしその人が乗ったら自分が乗れなくなる場合だったら、恐らく抗議を申し込むにちがいない。それをずるずるに黙許するのは、被害が自分に及ばないからである。しかしその被害は誰かには及ぶのであって、一人くらいといっても、そのために最後に誰か一人は取残される組にはいって、また次の電車まで長い間待たなければならない。

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