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TORENDIA

永遠の詩人

本文約1,300字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

少年時代に愛読した島崎藤村、薄田泣菫、蒲原有明らの自選詩集を再読し、詩人としての変遷や本質を考察する。かつては泣菫の孤独な憂鬱を好んだが、現在は藤村の詩こそが純粋で本質的なポエジーを保持していると評価する。自選集においてリリシズムを失った他の詩人たちと異なり、藤村は形式が小説へ移行した後も一貫して純粋な詩精神を持ち続けているとし、その文学の本質が「若菜集」から「夜明け前」まで不変であることを論じる。

萩原朔太郎

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🎧 永遠の詩人 / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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僕は少年の時、島崎藤村氏と薄田泣菫氏の詩を愛讀した。やや長じて後は、蒲原有明氏や北原白秋氏の作を讀んだ。

藤村氏と泣菫氏とは、少年時代の僕にとつて共に同じやうに好きであつた。しかしどつちかと言へばむしろ泣菫の方が好きであつた。その理由は、泣菫の詩に於ける特殊な佶屈の言葉と、その詩情に本質してゐる孤獨な憂鬱の陰影とが僕の個性に近く接觸するものがあつたからだ。之れに反して藤村の詩は、僕にとつてあまりにナイーヴで明るすぎ、陰影のない不滿さを感じさせた。もし藤村をゲーテとすれば、當時の泣菫はキーツであつた。そして僕の個性は、ゲーテよりもキーツやシエレーに近かつた。

然るに最近、再び兩者の詩を讀み返して見て、やはり藤村の方がよく、眞の本質的なポエヂイをもつたところの、眞の純粹の詩であるといふことを強く感じた。泣菫の方は、どういふものか、僕にとつて昔の魅力を無くしてしまつた。

その理由の一つは、兩者の詩共、昔の初版の原本でなく、後に改造社や新潮社で出したところの、自選詩集によつて讀んだ爲であるか知れない。その泣菫氏の自選詩集には、僕が昔愛讀した詩が殆んど皆オミツトされ、僕の嫌ひだつた詩ばかりがしかも多くの斧鉞を加へて集めてある。泣菫氏の詩は、その初期の物(暮笛集・ゆく春)ほどよく、純粹なリリシズムが盛られて居るのに、自選詩集には、却つてその詩情を稀薄にした後期の敍事詩風の作が多く入れられてある。

この自選詩集に對する不滿は、蒲原有明氏についても同じであつた。自選詩集に採録されてる有明の詩は、彼の中での最も惡い作品であり、多くは修辭的の技巧に凝つて、リリツクの純眞性を喪失してゐるやうなものばかりである。しかもそれが、詩情を失つた詩人の修辭學的な凝り性によつて、原作よりもずつと惡く改作されてる。

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