TRENDIA CLASSIC
永遠の詩人
萩原朔太郎
1 / 2
僕は少年の時、島崎藤村氏と薄田泣菫氏の詩を愛讀した。やや長じて後は、蒲原有明氏や北原白秋氏の作を讀んだ。
藤村氏と泣菫氏とは、少年時代の僕にとつて共に同じやうに好きであつた。しかしどつちかと言へばむしろ泣菫の方が好きであつた。その理由は、泣菫の詩に於ける特殊な佶屈の言葉と、その詩情に本質してゐる孤獨な憂鬱の陰影とが僕の個性に近く接觸するものがあつたからだ。之れに反して藤村の詩は、僕にとつてあまりにナイーヴで明るすぎ、陰影のない不滿さを感じさせた。もし藤村をゲーテとすれば、當時の泣菫はキーツであつた。そして僕の個性は、ゲーテよりもキーツやシエレーに近かつた。
然るに最近、再び兩者の詩を讀み返して見て、やはり藤村の方がよく、眞の本質的なポエヂイをもつたところの、眞の純粹の詩であるといふことを強く感じた。泣菫の方は、どういふものか、僕にとつて昔の魅力を無くしてしまつた。
その理由の一つは、兩者の詩共、昔の初版の原本でなく、後に改造社や新潮社で出したところの、自選詩集によつて讀んだ爲であるか知れない。その泣菫氏の自選詩集には、僕が昔愛讀した詩が殆んど皆オミツトされ、僕の嫌ひだつた詩ばかりがしかも多くの斧鉞を加へて集めてある。泣菫氏の詩は、その初期の物(暮笛集・ゆく春)ほどよく、純粹なリリシズムが盛られて居るのに、自選詩集には、却つてその詩情を稀薄にした後期の敍事詩風の作が多く入れられてある。
この自選詩集に對する不滿は、蒲原有明氏についても同じであつた。自選詩集に採録されてる有明の詩は、彼の中での最も惡い作品であり、多くは修辭的の技巧に凝つて、リリツクの純眞性を喪失してゐるやうなものばかりである。しかもそれが、詩情を失つた詩人の修辭學的な凝り性によつて、原作よりもずつと惡く改作されてる。
萩原朔太郎の他の作品
TRENDIA CLASSIC
喫茶店にて
萩原朔太郎
喫茶店にて
萩原朔太郎 ・ 約2分
TRENDIA CLASSIC
三人目の患者
萩原朔太郎
三人目の患者
萩原朔太郎 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
たびよりかへれ
る巡禮のうた
萩原朔太郎
たびよりかへれる巡禮のうた
萩原朔太郎 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
利根川の岸邊よ
り
萩原朔太郎
利根川の岸邊より
萩原朔太郎 ・ 約1分
TRENDIA CLASSIC
よき祖母上に
萩原朔太郎
よき祖母上に
萩原朔太郎 ・ 約2分
TRENDIA CLASSIC
愛の詩集
萩原朔太郎
愛の詩集
萩原朔太郎
TRENDIA CLASSIC
愛の詩集
萩原朔太郎
愛の詩集
萩原朔太郎
TRENDIA CLASSIC
青いゆき
萩原朔太郎
青いゆき
萩原朔太郎
TRENDIA CLASSIC
秋
萩原朔太郎
秋
萩原朔太郎
TRENDIA CLASSIC
秋と漫歩
萩原朔太郎
秋と漫歩
萩原朔太郎
TRENDIA CLASSIC
秋の日
萩原朔太郎
秋の日
萩原朔太郎
TRENDIA CLASSIC
青猫
萩原朔太郎
青猫
萩原朔太郎