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TORENDIA

秋と漫歩

本文約1,800字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

秋の季節を何よりも愛する筆者は、家の中に留まることを厭い、目的もなく街中を歩き回る散歩生活を綴る。趣味や娯楽を持たない筆者にとって、群集の中に身を置き、見知らぬ裏町や新開地を逍遥することは、唯一の消閑法である。自身の孤独癖と戸外における自由を重ね合わせ、独自の漫歩の愉悦や、街の雑踏とそこで抱くノスタルジアを情緒豊かに描く随筆である。

萩原朔太郎

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🎧 秋と漫歩 / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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四季を通じて、私は秋という季節が一番好きである。もっともこれは、たいていの人に共通の好みであろう。元来日本という国は、気候的にあまり住みよい国ではない。夏は湿気が多く、蒸暑いことで世界無比といわれているし、春は空が低く憂鬱であり、冬は紙の家の設備に対して、寒さがすこしひどすぎる。(しかもその紙の家でなければ、夏の暑さがしのげないのだ。)日本の気候では、ただ秋だけが快適であり、よく人間の生活環境に適している。

だが私が秋を好むのは、こうした一般的の理由以外に、特殊な個人的の意味もあるのだ。というのは、秋が戸外の散歩に適しているからである。元来、私は甚だ趣味や道楽のない人間である。釣魚とか、ゴルフとか、美術品の蒐集などという趣味娯楽は、私の全く知らないところである。碁、将棋の類は好きであるが、友人との交際がない私は、めったに手合せする相手がないので、結局それもしないじまいでいる次第だ。旅行ということも、私は殆どしたことがない。嫌いというわけではないが、荷造りや旅費の計算が面倒であり、それに宿屋に泊ることが厭だからだ。こうした私の性癖を知ってる人は、私が毎日家の中で、為すこともない退屈の時間を殺すために、雑誌でもよんでごろごろしているのだろうと想像している。しかるに実際は大ちがいで、私は書き物をする時の外、殆ど半日も家の中にいたことがない。どうするかといえば、野良犬みたいに終日戸外をほッつき廻っているのである。そしてこれが、私の唯一の「娯楽」でもあり、「消閑法」でもあるのである。つまり私が秋の季節を好むのは、戸外生活をするルンペンたちが、それを好むのと同じ理由によるのである。

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