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TORENDIA

青猫

本文約42,500字 ・ 読了時間 約86分

あらすじ(AIが作成しました)

著者自身の精神的な郷愁や哀愁をテーマに据え、個人の内面から湧き出る情緒を音楽のように表現しようと試みた詩集。自身の気質に由来する感覚的な鬱憂と、思索生活から生じる暗鬱な観念の両面からなる詩篇を収める。また、韻律の有無という形式論にとらわれず、自由詩という詩形におけるリズムの可能性や、詩のあり方について論考も展開する。

萩原朔太郎

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序

私の情緒は、激情といふ範疇に屬しない。むしろそれはしづかな靈魂ののすたるぢやであり、かの春の夜に聽く横笛のひびきである。

ある人は私の詩を官能的であるといふ。或はさういふものがあるかも知れない。けれども正しい見方はそれに反對する。すべての「官能的なもの」は、決して私の詩のモチーヴでない。それは主音の上にかかる倚音である。もしくは裝飾音である。私は感覺に醉ひ得る人間でない。私の眞に歌はうとする者は別である。それはあの艶めかしい一つの情緒――春の夜に聽く横笛の音――である。それは感覺でない、激情でない、興奮でない、ただ靜かに靈魂の影をながれる雲の郷愁である。遠い遠い實在への涙ぐましいあこがれである。

およそいつの時、いつの頃よりしてそれが來れるかを知らない。まだ幼けなき少年の頃よりして、この故しらぬ靈魂の郷愁になやまされた。夜床はしろじろとした涙にぬれ、明くれば鷄の聲に感傷のはらわたをかきむしられた。日頃はあてもなく異性を戀して春の野末を馳せめぐり、ひとり樹木の幹に抱きついて「戀を戀する人」の愁をうたつた。

げにこの一つの情緒は、私の遠い氣質に屬してゐる。そは少年の昔よりして、今も猶私の夜床の枕におとづれ、なまめかしくも涙ぐましき横笛の音色をひびかす、いみじき横笛の音にもつれ吹き、なにともしれぬ哀愁の思ひにそそられて書くのである。

かくて私は詩をつくる。燈火の周圍にむらがる蛾のやうに、ある花やかにしてふしぎなる情緒の幻像にあざむかれ、そが見えざる實在の本質に觸れようとして、むなしくかすてらの脆い翼をばたばたさせる。私はあはれな空想兒、かなしい蛾蟲の運命である。

されば私の詩を讀む人は、ひとへに私の言葉のかげに、この哀切かぎりなきえれぢいを聽くであらう。その笛の音こそは「艶めかしき形而上學」である。その笛の音こそはプラトオのエロス――靈魂の實在にあこがれる羽ばたき――である。そしてげにそれのみが私の所謂「音樂」である。「詩は何よりもまづ音樂でなければならない」といふ、その象徴詩派の信條たる音樂である。

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