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TORENDIA

富士登山

本文約4,300字 ・ 読了時間 約9分

あらすじ(AIが作成しました)

十五六年前、御殿場から富士登山を試みた一行は、夜半に森林を抜け曙の中を登り進む。著者は徐歩を貫き、苦難の末に冷雨を切り抜けて頂上の岩室へ辿り着く。翌朝、御来光を拝み、噴火口壁を巡った後、砂走りを一目散に下りきって帰京する。本作は、当時健脚でなかった著者が、子規の助言などを経て山に挑んだ際の過酷な道のりと、頂上で味わった清浄な心持や山麓の情景を回想形式で綴る。

高浜虚子

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🎧 富士登山 / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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私が富士山に登ったのは十五六年前のことである。平々凡々の陸行であったので特に書き記すほどのこともない。殊に当時ホトトギス誌上には碧梧桐君が其記事を書いたので私は何も書かなかった。今書くとなるともう大方は忘れてしまっているので、いよいよ何も書くことはないわけであるが、それでも思い出し思い出し概略を記して見ることにする。

十五六年前の富士登山は、今日ほど普通なものではなかった。その前年中村不折君が末永鉄巌君などと富士に登って来て盛んにわれ等を羨まがらせたので、負けぬ気になって、碧梧桐君や岩田鳴球君や菅能國手や其他数人を語らって出掛けたのは七月の末であったか、八月になってであったか、それも忘れてしまった。碧梧桐君は其頃から健脚をもって任じて居たので、もとより問題にならなかったが、「虚子に果して頂上まで登る勇気があるかどうか。」ということが子規居士枕頭の話題になっていた。殊に居士は其病弱の躯から推して到底私には頂上まで登る勇気はないものの如く推定したらしい口吻であった。「まア行って御覧や。」などと憐れむような口吻で居士は私に言った。

御殿場の御殿場館とか言った宿に一夜を明かして夜半の三時頃から登山することになった。宿屋の光景などははっきり覚えて居らぬが、其前夜御殿場の町を歩いた時の一種の心持はまだ忘れることが出来ぬ。それは淋しい夜の町というのに過ぎなかったが、爪先上りになっている其町の前方に当って黒い大きな巨人の如きものが峙っている。それが明日登る富士山であるということが何となく心を引きしめた。果して頂上まで登れるのであろうかという疑問は私自身にもあった。そう思って見上げた黒い巨人は私を威圧するように聳えていた。空には月がなくって星ばかりであった。盛夏の候に拘わらず単衣の肌は涼しすぎる位であった。われ等は其夜の町で金剛杖や草鞋などを買って来たように記憶する。

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