室生犀星君の人物について
本文約3,000字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
室生犀星を大森に迎えて旧交を温めた萩原朔太郎が、親交の深い詩人の人物像を綴る。純情無比で理屈を超えた本能的な直観を持つ犀星を、何物にも染まらない小學一年生のような存在として描く。議論の場では腕白小僧のように振る舞う一方、勤勉に藝術の坂を登り続ける独逸人的な側面を対比させる。理智に頼らず自然や人生の本質を突くその天真爛漫な精神の本質と、後の世に定評されるであろう初期作品の純粋さについて論じる随筆である。
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最近第一書房からして、僕の選した室生犀星君の詩集が出るので、この際僕の見た室生君を、人物的に略記してみたいと思ふ。尤も僕は、以前から幾度も室生君のことを書き、むしろ書きすぎてゐるほどであるが、最近彼が大森へ移轉して來て、田端以來の舊交が大に温まつたので、また新しく書く感興が起つたのだ。
人物としての室生君は、だれも言ふ如く眞に純情無比の人である。(作品としてもさうであるが、この場合は成るべく人物印象に止めておきたい。)この頃では毎日のやうに彼と逢ひ、親しく酒など飮み合つてゐるが、あまり純情すぎることから、時としては腕白小僧のやうに思はれる。特に議論などする時さうであつて、人の理窟などには耳を藉さず、何でもかんでも俺はかうだと言ひ立てる。それが天眞爛漫だからして、まるで駄々つ子が暴れ出すやうで、なんとも言ひがたく純眞である。彼と親しくしてゐるお蔭で、僕は自分の中の最も美しい「純粹のもの」を、いつも失はずに持つてゐられる。その點だけでも、彼は僕にとつての益友だが、あんまり腕白小僧の我武者羅が強い時には、さすがに僕も腹が立つて、時々子供同士のやうな喧嘩をする。
室生と交際をしてゐる間、不思議に僕は昔の小學校時代を思ひ出す。その小學時代には、或る腕白小僧の友だちがゐて、よく子供らしい意地惡から、僕を皮肉にからかつたり惡口したりした。そのくせ二人は不思議に仲がよく、毎日喧嘩をしては毎日逢つて親しくしてゐた。室生君がまたその通りで、よく僕の惡口や皮肉を言ひ、時としては必要のない意地惡さへするのであるが、その意地惡がいかにも子供の意地惡らしく、むしろ意地惡されることによつて、友情への深入りを感じさせるほどである。すべての點に於て、彼は小學一年生のやうな男である。すべての人は、小學一年生である時ほど、人生や自然について、最高の深い智慧をもつものはない。なぜなら彼等は、今日只今生れたばかりの、全く新鮮な自由の心で、一切の宇宙を見るからである。