TRENDIA CLASSIC

室生犀星君の人物について

萩原朔太郎

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最近第一書房からして、僕の選した室生犀星君の詩集が出るので、この際僕の見た室生君を、人物的に略記してみたいと思ふ。尤も僕は、以前から幾度も室生君のことを書き、むしろ書きすぎてゐるほどであるが、最近彼が大森へ移轉して來て、田端以來の舊交が大に温まつたので、また新しく書く感興が起つたのだ。

人物としての室生君は、だれも言ふ如く眞に純情無比の人である。(作品としてもさうであるが、この場合は成るべく人物印象に止めておきたい。)この頃では毎日のやうに彼と逢ひ、親しく酒など飮み合つてゐるが、あまり純情すぎることから、時としては腕白小僧のやうに思はれる。特に議論などする時さうであつて、人の理窟などには耳を藉さず、何でもかんでも俺はかうだと言ひ立てる。それが天眞爛漫だからして、まるで駄々つ子が暴れ出すやうで、なんとも言ひがたく純眞である。彼と親しくしてゐるお蔭で、僕は自分の中の最も美しい「純粹のもの」を、いつも失はずに持つてゐられる。その點だけでも、彼は僕にとつての益友だが、あんまり腕白小僧の我武者羅が強い時には、さすがに僕も腹が立つて、時々子供同士のやうな喧嘩をする。

室生と交際をしてゐる間、不思議に僕は昔の小學校時代を思ひ出す。その小學時代には、或る腕白小僧の友だちがゐて、よく子供らしい意地惡から、僕を皮肉にからかつたり惡口したりした。そのくせ二人は不思議に仲がよく、毎日喧嘩をしては毎日逢つて親しくしてゐた。室生君がまたその通りで、よく僕の惡口や皮肉を言ひ、時としては必要のない意地惡さへするのであるが、その意地惡がいかにも子供の意地惡らしく、むしろ意地惡されることによつて、友情への深入りを感じさせるほどである。すべての點に於て、彼は小學一年生のやうな男である。すべての人は、小學一年生である時ほど、人生や自然について、最高の深い智慧をもつものはない。なぜなら彼等は、今日只今生れたばかりの、全く新鮮な自由の心で、一切の宇宙を見るからである。

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