室生犀星に就いて
本文約2,300字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
室生犀星を蝙蝠に譬え、その触覚的な鋭い感性と純情な文学的本質を論じる。子供のような無邪気さと古武士のごとき堅忍不抜の意志を併せ持つ人柄を紐解き、小説家よりも詩人としての特質や、独自の魅力を放つ文章表現を綴る。さらに、過去の生活を脱ぎ捨てて新生を遂げようとする作家の姿に対し、友人としての深い情誼と期待を寄せる論考である。
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たいていの文學者は、何かの動物に譬へられる。例へば佐藤春夫は鹿であり、芥川龍之介は狐であり、谷崎潤一郎は豹であり、辻潤は山猫の族である。ところで、同じ比喩を言ふならば、室生犀星は蝙蝠である。彼はいつでも、自分だけの暗い洞窟に隱れてゐる。彼は鷲や鷹のやうな視覺を持たない。けれども翼の觸覺からして、他の禽獸が知らないところの、微妙な空間を感覺して居る。すくなくとも彼だけの洞窟では壁の裏側に這つてる小蟲や、空氣の濕つぽい臭ひまで、殘る隈なく觸覺してゐる。彼は他の世界に出られない。そこでは盲目になるからである。しかし自分だけの世界に於ては、宇宙第一の智慧者である。
これからして犀星は、文壇で「感覺派」と呼ばれてゐる。たしかに! 彼は蝙蝠の翼をもつた感覺派である。だが感覺派といふ言葉が、もし感覺主義者を意味するならば、彼の本領は反對である。むしろ本質について言へば、彼は「純情派」の文學者を典型として居る。彼に於てはあらゆる人生が純情によつて眺められる。彼は決して、心から人を憎むことの出來ない男で、何物に對しても涙ぐましく、情緒のいぢらしさで眺めてゐる。自然でさへも、彼はいたはりの眼で觀察してゐる。げにその處女詩集に名付けた如く、犀星は「愛の詩人」なのである。
彼の性格氣質の中には、多分に東洋的のものが滲み渡つて居る。それは藝術家の生活としても、彼を東洋的の修道院に住まはせてゐる。その東洋文人の修道院で、彼は、「身を修め藝を研く」の古訓を守り孜々として修養して來た。この點で彼の生活樣式は、故芥川龍之介君と同型であり、東洋文人の或る範疇を思はせる。一方で僕自身は、西洋流の文學史に特色してゐる、あのルツソオ的言行矛盾や、ドストイエフスキイ的不身持ちから、生活と藝術とを矛盾さすべく、そこに天才の定義を考へて來た。僕と彼は反對である。