幽香嬰女伝
本文約8,800字 ・ 読了時間 約18分
あらすじ(AIが作成しました)
霊魂不滅や幽明界の境界について考察する作者が、亡き知人の急逝や自身の体験した不思議な出来事を綴る。深夜の寝室で妻に似た顔立ちの若い女を目撃した体験を通じ、二十数年前に生後すぐに亡くなった娘の記憶が潜在意識から姿を現したものと解釈する。幽霊への恐怖よりも懐かしさを感じた作者は、息子の結婚を機にこの亡き娘の墓を訪れるよう促すなど、幽明の境を超えた家族の記憶と精神の繋がりを回想する記録である。
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はしがき
この稿はもと『群像』三月号に『幽明界なし』と題して発表したものであるが、本誌『大法輪』編輯部がその取材に興味を持ったものか、転載を希望して作者の許可を求めた。作者は偶々旧稿を『幽香嬰女伝』と改題して初稿にいささか加筆してやや面目を改めたものがあったのを手交して、ここに再録を承引することとした。
霊魂不滅という説がある。わたくしは必ずしもその説を信奉する者でもないが、しかし界を異にすると聞く幽明の界は、一般に考えられているほどにはきっかりと別れているのではないような気がする。いや現にこれを証するような事実が多いのをわたくしは知っている。
亡友牧野吉晴は若くからわたくしを親愛してくれた後輩であったが、その死の三、四日前、偶々さる会場で同席して帰途が同じだから同車で帰る途中、わたくしは彼を陋屋に請じて酒を愛する彼のために粗酒を侑めた。病後酒量を慎んでいると云いながらも快く盃を重ねていつになく酔を発して、酔中に家庭の近状などをしみじみと語り出し、今は多少の貯金もでき、後顧の憂もあまりないなどと、放胆な彼らしくもない話題までしゃべっていた。後に知ったところでは貯金といったのは巨額の生命保険の契約のことであったらしい。
牧野は十分に酔い、十分に語りながらなおも名残を惜しみつつ、三日ほど後にわが家に近い椿山荘で催される或る忘年会に招かれているから、その帰りにはまた必ず立寄ると云いながら座を立って、玄関では靴をはく手元もおぼつかないほど泥酔していながらも、繰り返し繰り返して、
「ではまた三日ほど後にはきっと来ますからね」
と云いつつよろよろと立ちあがって出て行く。
「めずらしくだいぶん酔っているが大丈夫か」
「大丈夫ですともたいして酔っちゃいません」
と言葉を交して別れた。
そうしてその三日後には、椿山荘でも同席の友人に帰りにはわたくしの家へ立ち寄ろうと云いながらも、まだ用談がかたづいていないからそれをすましてから、帰途でもよいと云いながら銀座のバーの二次会へ出かけていったと云う。