本文へ移動
TORENDIA

祝盃

本文約2,800字 ・ 読了時間 約6分

あらすじ(AIが作成しました)

一高時代の同窓である啓吉、久野、青木が再会し、東京の街を歩く。かつて秀才として将来を嘱望された青木は、現在は田舎で生活し台湾へ赴く身となっていた。一方で作家として成功した啓吉と久野は、青木の変貌に複雑な感情を抱きながらも、自身の近況や昔話に耽る。青木を見送った後、二人は自分たちの社会的な成功を再確認し、運の良さを噛み締めながら、互いの幸運を祝うかのようにソーダ水を飲み干す。

菊池寛

速度
🎧 祝盃 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 4

久野の家を出た三人は、三丁目から切通しの方へ、ブラ/\歩いていた。五六年前、彼等が、一高にいたときは、この通を、もっと活溌な歩調でいくたび散歩したか分らなかった。

その時は、啓吉も久野も、今度久しぶりで、ヒョックリ上京して来た青木も、銘々それ/″\に意気軒昂たるものであった。その中でも、青木が一番自信を持っていた。その天才的な態度や行動のために、みんなからも一番輝く未来を持つように思われていた。

啓吉や久野も、いつの間にか、青木には一目も二目も置いていた。が、運命は皆の期待した通りには、めぐらなかった。みんなから、一番嘱望されていた青木は、大学に入ったその年に、彼自身の不行跡から、学校にいられなくなり、啓吉や久野にも随分不義理な事をして、日の目を見ないような山陰の田舎に埋もれてしまった。田舎で英語の私塾を開いているといったような噂を、啓吉は誰からともなく聞いていた。その青木が何の前触もなく突然上京して、啓吉を訪ねて来たのである。

青木が、みんなの期待を裏切って、埋もれてしまったのと反対に、啓吉も久野も文壇的には自分達の予想以上の世の中に出ていた。

「文学に志したのだから、せめて翻訳でもして、文名を成したい。」

そんな謙虚な事を考えていた啓吉は今では、思いがけなくも新進作家として、相当な位置を占めている。久野などは啓吉よりも、更に一年も早く文壇に出てしまっている。

久野も啓吉も黙って歩いていた。五六年前には、何の相違もなかった三人の間に、今では社会的には、ハッキリとした区劃が付いている。

久野敏雄といえば、文学好きの青年は、大抵名前だけは知っている。が、青木好男といっても、誰が知っているだろう。五六年前は、同窓の間では、敬意と、かすかではあるが、驚異とを以て、呼ばれたその名前が、今では何人も知らない平凡な普通人の名前になってしまっている。

「僕ね。今度台湾の方へ行くようになったのだよ。総督府に調査部というのがあってね。そこへ行くことになったんだ。」

三人の沈黙を破るように、青木は昔ながらの、美しい沈んだ声でいった。

菊池寛の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本