怠倦
本文約2,700字 ・ 読了時間 約6分
あらすじ(AIが作成しました)
新聞小説の連載や学校での文学講義を通じて、専門家としての自らに不安と不快を抱く筆者の心理を綴る。人生や芸術を説く資格があるのかと自己懐疑に陥る中で、世俗の成功や失敗を無意味と捉え、あえて冷笑的な態度でそれらに対処しようとする。また、江戸のデカダンス思想に国民性の相違を見出し、文明の成熟とそれに伴う衰退の必然性について論じる。歴史の闘争や現代の混雑する街の光景を重ね合わせ、自らの生き方と時代の行き着く先を静かに省みる。
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この春朝日新聞の紙上に「冷笑」と云う小説を書いていた時に、自分はその日の朝机に向って書き綴った自分の文章が、毎日毎日機械的に翌日の新聞紙に載っているものを見て、何となく自分もいよいよ小説家になった。作者になった。筆を家業にする専門家になったような心持がして何とも知れず一種の不安と不快とを覚えた。
今度は意外にも学校の教室に立って文学と云うものを講義せねばならなくなった。人生、芸術、美、空想、感動、幻影なぞと云う言語を無暗と口にするのが義務でもあり、職業でもあるような心持がしてまたまた新しい不安と不快とを覚える。
昨日まで市に隠れて人に知られず、ただ恣なる空想の世界に放浪していた当時には、人生と云い芸術と云い美と云う言語は如何に尊く懐しいものであったろう。何故ならばそれ等の言語はわが刹那刹那の感激によって我が目の前に閃き過る幻の影を捕えて、少くとも自分の生きている間は保存せらるべき記録を紙上に移して呉れる唯一の媒介者であったからだ。
どうして自分は彼の時にはああ云う夢を見たか。どうしてその時にはそれを臆面もなく歌ったか。いかにするとも返っては来ぬ「時間」の隔離を振返って今更改めてそれを説明せよと云うこんな無慈悲な事はない、無理な事はない。