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TORENDIA

飛騨の顔

本文約15,200字 ・ 読了時間 約31分

あらすじ(AIが作成しました)

飛騨の山村や町を歩く旅を描き、この地に伝わる「飛騨の匠」と彼らが遺した名作の芸術的真髄を考察する。大工や仏師として日本の木造文化の源流を築いた名匠たちは、作者の名を残すことも世間に知られることも求めず、必要に応じて作品を制作し続けた。著者は飛騨に現存する隠れた名作に触れつつ、奈良朝以前の歴史が隠されている可能性を指摘し、古代史の真相を解き明かす鍵がこの土地の風土と伝統にあることを提示する。

坂口安吾

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日本で、もう一度ノンビリ滞在してあの村この町を歩いてみたいと思う土地は、まず飛騨である。五月ぐらいの気候のよいときが望ましいが、お祭のシーズンもよいかも知れぬ。京都はギオンの夏祭りをのぞいて多くの主要な祭が春の二ヶ月間ぐらいに行われるから祭のシーズンというものがあるが、ヒダはそうでもないらしいから、まとめてお祭を見るわけにはいかないようだ。

お祭りという隠居じみたことをなぜ持ちだしたかというと、お祭りには御開帳というものがあって、ふだんは見せてくれないものを見せる。ふだん見せてくれないものがヒダには多いのである。そして、そのなかには他の土地の秘仏とケタの違う作品がある筈だと私は見当をつけているからだ。

大昔からヒダの大工をヒダのタクミという。大工でもあるし、仏師、仏像を造る人でもあるし、欄間などの精巧な作者でもある。玉虫の厨子のようなものも彼らの手になるものが多かったように思われる。日本の木造文化や木造芸術の源流は彼らに発し、彼らによって完成され、それを今日に伝承していると見られるのである。

ヒダのタクミとはヒダの大工ということで、一人の名前ではない。大昔から、大和飛鳥のミヤコや、奈良のミヤコ、京のミヤコも彼らなくては出来なかったものだ。後世に至って、左甚五郎があるが、これはヒダの甚五郎のナマリであろう。彼の製作年代が伝説的に長い時期にわたっているのを見ると、これも特定の個人の名ではなくて、単にヒダのタクミという場合と同じような、バクゼンとヒダの名匠をさしているもののようである。名匠は概ねあらゆる時代に居たようだが、いずれも単にヒダのタクミで、特定の名を残している者は一人もない。伝説的に最古の仏師と目せられる鞍作の止利が個人の名を残しているだけで、他に一名もわが名を残そうとして仏像や建築に署名した者も居らぬ。ヒダではタクミが当り前の職業だから、よその土地の百姓が米やナスや大根作りの名人の名を残そうなどゝ考えたことがないように、作者の名ということが考えられなかったのだろう。

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