道灌山
本文約9,000字 ・ 読了時間 約18分
あらすじ(AIが作成しました)
関東大震災後、執筆中の佐藤のもとへかかってきた不可解な電話と、その数年後に訪ねてきた秣屋という男にまつわる二つの奇妙な体験を綴る。執拗に「道灌山」からだと名乗り、妻の姉を話題に出す女からの電話と、失踪した馬の捜索を名目に現れた男。いずれも地名や内容の真偽が疑わしく、整理できない断片的な事実として記憶に残り続けた出来事について、著者はその当惑を読者に伝え、現実へ紛れ込んだ夢として忘却するために記録する。
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はしがき
一つの奇妙な事実談を語りたいと思う。或は少しも奇妙事ではなく、至極ありふれた事の一角だけが表面に現れて大部分が埋れかくされているためにえたいが知れないのかも知れない。そういう事が世の中には多い。きっとそんな事であろう。ともかくもえたいの知れない話である。
(一)
あれは何時だったか知ら。この家ができたのが関東大震災の翌々年の二月、それからこの家へ最初に電話の取りつけられたのはその年か、その翌年かの五月ごろでもあったろうか。するとかれこれ三十年ぐらい昔の話、その間にわたくしも壮年期から老年期に入ったばかりか、あいだに戦争などがはさまったせいもあって、あのころの家常茶飯事はおおかた忘れてしまったのに、あの話だけがふしぎと記憶に深い。それにしてもどれだけ正確に思い出せるやら。
(二)
あの頃の習慣で、執筆はいつも深夜になっていたため、自然と朝起きるのがおそく、ひとりで朝飯と昼飯とを兼ねた十一時ごろの食事をすまして一服しているところへ、けたたましく電話がかかって来たので困った。人々はみなわたくしの書斎の掃除でもしていたらしかった。
由来、電話と云うものは性に合わない上に子供のころから薬局生や看護婦を頼む習慣がついてしまって嫌いなのだが、台所の要求によって自分では一切電話に出ない条件づきで設けた電話なのである。
折口信夫氏は電話で呼び出されると何か大事出来のようで不安である。電話は魚屋や八百屋を呼び出すものだと不きげんであったと聞いている。
ジョセフィン・ベーカーも電話ぎらいで一切電話口へ出ないが、電話に出ない現代の女は彼女と英国のクウィンぐらいなもので大した気位だと云われているとか聞いて、僕はこの黒人の踊り子を折口さんぐらいに好きになったものであった。
しかし折口氏は知らず、わたくしはジョセフィンとともに気位が高いのではなく、未開人のためにこういう社交的な文明の利器が性に合わないのである。
電話はしきりに鳴る。出渋っていたが、是非なく重い尻を持ち上げて、自分で出てみると、聞きおぼえもない女の声がいきなり、
「お前さん、目白坂の佐藤かい?」