TRENDIA CLASSIC

幽明

佐藤春夫

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先年、幼児がどこかでうつされて来た急性トラコーマが一家中にひろまって、それは当時、友人F博士の治療ですっかり治っているはずなのに、時折は何かの拍子で眼が渋いような感じがしたり、へんに涙っぽいような場合があって、再発ではないかと神経を病ませる。この間もちょっと、そんな事があったから先年もっともひどい目にあった八歳になる初雄も同じようなことを云い出したので、自分のは、さしたることも無いと思ったが、初雄のが案じられた。折から子供の学校は紀念日で休みになったうえ、春寒もややゆるんだのを幸と、散歩かたがた初雄をいっしょに誘い出して、念のため見て置いてもらおうと出かけたのは、亡弟の学友で、その学校時代から自分も親しくしていた眼科専門のF博士の医院である。

なるべく午前中の診察時間に間に合うようと車をいそがせたが、やっとぎりぎりで、いつも繁盛しているこの医院も、もう盛り時は過ぎていたから、玄関の突き当りの待合室に、年輩の婦人が、ひとりぽつねんとガーゼのようなハンケチを眼に押しあてているのが見えるだけであった。

自分の声を聞きつけて、診察室から飛び出して出迎えてくれたF君は、

「おや、初雄君も一しょで、またどうかなさいましたか」

「いや少しへんなので、念のため一度ご覧になって置いていただこうと思いましてね」

「時々お目にかかれるのはいいが、また痛い思いをおさせするのはいやですからな」

と云いながら旧友は、我々を待合室の方へ請じ入れると、先客の老夫人は自分を先生の知友と看て取ったせいか、眼にあてていた布をちょっとはずして一目我々の方を見やってから、しずかに立ち、軽い一礼で我々に会釈して、先ず長椅子の片脇ににじり寄り、それから脱ぎすてたのをたたんで小脇に置いてあったカーキ色の軍服地みたいな厚いコートを取り上げて膝の上に置きなおして、我々のための座席を設けて、

「お坊ちゃま、さあどうぞ」

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