柱時計に噛まれた話
本文約2,200字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
大森の古い時計店で三十年近く売れ残っていた、葡萄の飾りがついた柱時計を作者は手に入れる。地震の際、壁から落ちまいと奮闘した時計は発狂し、出鱈目な時を打ち響かすようになる。狂った機械を前に、ある日ゼンマイを巻いていた作者は、突然時計が奏でた心臓の裂ける音とともに、指を激しく噛まれる。指から流れる血を見ながら、作者は気まぐれな時計の不可解な振る舞いを巡る騒動と、それに翻弄される日常を独白のように綴る。
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※[#I四つ、217-2]
文字は星のやうにあざやかな金
その文字板は死のやうにまつ黒
ぐるりは花と葉との浮彫
さてその振子はと言へばそれは
風にゆれるたつた一房の葡萄の実
熟れて命のやうに甘いたつた一房
このよき細工人は無名でこそあつたが
ヱピキユラスほどの賢者だつた
美しい教はつつましいから
人には知られずに三十年の間
場末の時計屋で塵まみれだつた
これは私がその時計を買った時に、うれしさのあまりにつくった詩であります。地震の年のしかもあの怖ろしい事の五六日前に、わたしは、その頃いた大森の町のガアドのわきの古い時計店でそれを手に入れたのです。その時それは本当に塵まみれでした。店の主の話では二十五年も三十年近くもうれ残っているのだという事でした。多分うそではありますまい。その時計店というのがかなり古い店らしく、主人の話では彼の父が横浜で店を開いたのだそうです。時計屋などという新奇な――当時としてはさぞハイカラな店をやっただけに、その人というのがやはり好事家だったそうです。そんなことを話しながら四十位のそこの主人は、ふみ台などを持ち出して壁の上の高いところにあるその時計を、
「これもおやじの物好きの形身でさ、いつ買い入れたものだか、あたしが覚えてからでも二十五年や三十年にはなりますよ。……え、いくらででも買ってやって下さい。……さようですな八円ぐらいではいかがでしょう。」
わたしは時計が気に入っているところへ、時計屋の言葉も気に入ったし、値段も気に入った。喜んで買う約束をして、しかしそれにしたって機械は大丈夫だろうなと念を押すと、売手は確実にうなずいて、
「大丈夫ですとも。何しろ、しかも、あまり長い事ほっ放してありますから、一度掃除をして油をさしてから――さよう、明後日御とどけ致しましょう。ただね、予め御断りして置きますが、こいつは風の当るような場所へかけると駄目ですよ。振子がこのとおり外へぶらさがって出て居るのですからね。何しろ洒麗た細工だなあ。」