過古
本文約1,600字 ・ 読了時間 約4分
あらすじ(AIが作成しました)
幼少期に一家で離れた大都会へ成長後に戻った青年は、郊外での生活の中で過去の記憶や郷愁に苛まれる。かつて暮らした町を再訪し、路地で幼い頃の自分自身の幻影を見るなど、精神の不協和に苦悩する。ある夜、暗闇の中で道に迷い、心身ともに極限の空虚へ陥った彼は、偶然通り過ぎる華やかな列車を目の当たりにする。その光と激しい響きに触れ、青年は遠く離れた両親のもとへ帰る決意を抱き、涙を流す。
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母親がランプを消して出て来るのを、子供達は父親や祖母と共に、戸外で待っていた。
誰一人の見送りとてない出発であった。最後の夕餉をしたためた食器。最後の時間まで照していたランプ。それらは、それらをもらった八百屋が取りに来る明日の朝まで、空家の中に残されている。
灯が消えた。くらやみを背負って母親が出て来た。五人の幼い子供達。父母。祖母。――賑かな、しかし寂しい一行は歩み出した。その時から十余年経った。
その五人の兄弟のなかの一人であった彼は再びその大都会へ出て来た。そこで彼は学狡へ通った。知らない町ばかりであった。碁会所。玉突屋。大弓所。珈琲店。下宿。彼はそのせせこましい展望を逃れて郊外へ移った。そこは偶然にも以前住んだことのある町に近かった。霜解け、夕凍み、その匂いには憶えがあった。
ひと月ふた月経った。日光と散歩に恵まれた彼の生活は、いつの間にか怪しい不協和に陥っていた。遠くの父母や兄弟の顔が、これまでになく忌わしい陰を帯びて、彼の心を紊した。電報配達夫が恐ろしかった。
ある朝、彼は日当のいい彼の部屋で座布団を干していた。その座布団は彼の幼時からの記憶につながれていた。同じ切れ地で夜具ができていたのだった。――日なたの匂いを立てながら縞目の古りた座布団は膨れはじめた。彼は眼を瞠った。どうしたのだ。まるで覚えがない。何という縞目だ。――そして何という旅情……
以前住んだ町を歩いて見る日がとうとうやって来た。彼は道々、町の名前が変わってはいないかと心配しながら、ひとに道を尋ねた。町はあった。近づくにつれて心が重くなった。一軒二軒、昔と変わらない家が、新しい家に挾まれて残っていた。はっと胸を衝かれる瞬間があった。しかしその家は違っていた。確かに町はその町に違いなかった。幼な友達の家が一軒あった。代が変わって友達の名前になっていた。台所から首を出している母らしいひとの眼を彼は避けた。その家が見つかれば道は憶えていた。彼はその方へ歩き出した。