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TORENDIA

闇への書

本文約4,000字 ・ 読了時間 約8分

あらすじ(AIが作成しました)

山村で静かな日々を過ごす「私」が、空の雲や杉林の中の樋を流れる水音に触れ、風景の中に潜む神秘的な美しさや心の揺らぎを綴る。自然の観察を通じて、視覚的な現象と知的な理解の狭間に生じる深い情緒や、日常に隠れた発見を内省的に描く。音や光の捉え方、あるいは突然視界に入り込んだ藤の花といった些細な事象から、自身の抱く情熱や絶望、運命を読み解こうと試みる様を収めた連作形式の作品である。

梶井基次郎

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🎧 闇への書 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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第一話

私は昨日土堤の土に寢轉びながら何時間も空を見てゐた。日に照らされた雜木山の上には動かない巨きな雲があつた。それは底の方に藤紫色の陰翳を持つてゐた。その雲はその尨大な容積のために、それからまたその藤紫色の陰翳のために、茫漠とした悲哀を感じさせた。それは恰もその雲のおほひかぶさつてゐる地球の運命を反映してゐるやうに私には思へた。

雜木山の麓から私の坐つてゐた土堤へかけては山と山とに狹められたこの村中での一番大きな平地だ。溪からは高く、一日中日のあたつてゐる畑だ。午後になつてすでに影になつてしまつた街道を歩いてゐて、家と家との間から、また暗い家のなかに開いてゐる裏木戸から、この一帶の平地をちらと見た時程平和な氣持のするときはない。

その雲はその平地の上に懸つてゐた。平地のはての雜木山には絶えず時鳥が鳴いてゐた。目に見えて動くものはない。たゞ山の麓に水車が光つてゐたばかりだつた。

私は其處から眼を轉じて溪向ふの杉山の上を眺めた。その山のこちら側はすつかり午後の日影のなかにあつた。青空が透いて見えるやうな薄い雲が絶えずその上から湧いて來た。

次へ次へ出て來る雲は上層氣流に運ばれながら、そして自ら徐ろに旋しながら、私の頭の上を流れて行つた。緩い渦動に絶えず形を變へながら、青空のなかへ、卷きあがつてゆく縁を消しながら。

――それはちやうど意識の持續を見てゐるやうだつた。それを追ひつ迎へつしてゐるうちに私はある不思議な現象を發見した。それはそれらの輕い雲の現はれて來る來方だつた。それは山と空とが噛み合つてゐる線を直ちに視界にはいつて來るのではなかつた。彼等の現はれるのはその線からかなり距つたところからで、恰度燒きつけた寫眞を藥のはいつたツトへ投げ込んで影像があらはれて來るやうな工合に出て來るのだつた。私はそれが不思議でならなかつた。

空は濃い菫色をしてゐた。此の季節のこの色は秋のやうに透き通つてはゐない。私の想像はその色が暗示する測り知られない深みへ深みへのぼつて行つた。そのとたん私は心に鈍い衝撃をうけた。さきの疑惑が破れ、ある啓示が私を通り拔けたのを感じた。

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