TRENDIA CLASSIC

仮装観桜会

佐左木俊郎

1 / 15

靄! 靄! 靄!

靄の日が続いた。胡粉色の靄で宇宙が塗り潰された。そして、その冷たい靄ははるかの遠方から押し寄せてくる暖かいものを、そこで食い止めていた。食い止めて吸収していた。

靄の中で桜の蕾が目に見えて大きくなっていった。人間の感情もまた、その靄の中で大きくなっていく桜の蕾のようなものだ。街の人たちはもう花見の話をしていた。

靄が濃くなり暖かくなるにつれ、桜の蕾がその中でしだいに大きくなっていくように、人間の感情もまたその雰囲気の中でしだいに膨張する。前田鉄工場の職工たちの感情もまたそうだった。従前どおりに続いていく雰囲気の中で彼らの要求感はしだいに膨張して、弾けようとする力を持ちだしてきていた。

彼らの要求! それは極めて簡単なものであった。そしてまた、それは極めて至当な欲求であった。季節が気温の坂を上るにつれ、花の蕾が膨張せずにはいられないように、彼らの生活もまた転がるに従って膨張していた。ある一つの細胞がその環境の中でしぜんに膨張していくとき、人工的ないかなる力もそれを抑えることはできない。もし、一つの蕾を枯らすことなくそのままの大きさに止めておくことができたら、それは魔術である。奇術である。時代の波に浮かべてある生活の舟から完全に加速度を奪うことができたら、これもまた魔術であろう。奇術であろう。魔術師ではない彼ら職工たちが、自分たちの生活の膨張と加速度とを自分の力でどうすることもできないのは、極めて当然のことであった。春になれば暖かくなり、花が咲く。それと同じような自然の成行きであった。

しかし、それを彼らの工場主前田弥平氏は全然認めてくれないのだった。彼のそういう態度は、花はもう散ろうとしているのに、その花を蕾として認めているようなものであった。

「そんなことを言ったって、一般に緊縮の時代じゃないか。こんな時に、そりゃあ無理というもんだ」

前田工場主はそう言うのだった。

しかし、彼らは決してその生活を膨張させようというのではなかった。現在の状態について要求しているのだった。それなのに、前田工場主は緊縮政策をもって、にべもなく彼らの要求を退けた。

佐左木俊郎の他の作品