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TORENDIA

海異記

本文約18,000字 ・ 読了時間 約36分

あらすじ(AIが作成しました)

太平洋に面した荒磯の村、江見の浜に建つ一軒の漁師の家に、船頭の松五郎の妻と乳児が暮らす。ある日、近所の少年三之助が訪れ、海上で目撃した怪異について語る。その後、正体不明の僧が家に現れ、女房に執拗に嬰児を渡すよう迫る。夜が更け、夫が帰宅したとき、家の中では恐ろしい出来事が待ち受けていた。孤独な留守居の不安と海から訪れる不可解な恐怖を描く。

泉鏡花

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一

砂山を細く開いた、両方の裾が向いあって、あたかも二頭の恐しき獣の踞ったような、もうちっとで荒海へ出ようとする、路の傍に、崖に添うて、一軒漁師の小家がある。

崖はそもそも波というものの世を打ちはじめた昔から、がッきと鉄の楯を支いて、幾億尋とも限り知られぬ、潮の陣を防ぎ止めて、崩れかかる雪のごとく鎬を削る頼母しさ。砂山に生え交る、茅、芒はやがて散り、はた年ごとに枯れ果てても、千代万代の末かけて、巌は松の緑にして、霜にも色は変えないのである。

さればこそ、松五郎。我が勇しき船頭は、波打際の崖をたよりに、お浪という、その美しき恋女房と、愛らしき乳児を残して、日ごとに、件の門の前なる細路へ、衝とその後姿、相対える猛獣の間に突立つよと見れば、直ちに海原に潜るよう、砂山を下りて浜に出て、たちまち荒海を漕ぎ分けて、飛ぶ鴎よりなお高く、見果てぬ雲に隠るるので。

留守はただ磯吹く風に藻屑の匂いの、襷かけたる腕に染むが、浜百合の薫より、空燻より、女房には一際床しく、小児を抱いたり、頬摺したり、子守唄うとうたり、つづれさしたり、はりものしたり、松葉で乾物をあぶりもして、寂しく今日を送る習い。

浪の音には馴れた身も、鶏の音に驚きて、児と添臥の夢を破り、門引きあけて隈なき月に虫の音の集くにつけ、夫恋しき夜半の頃、寝衣に露を置く事あり。もみじのような手を胸に、弥生の花も見ずに過ぎ、若葉の風のたよりにも艪の声にのみ耳を澄ませば、生憎待たぬ時鳥。鯨の冬の凄じさは、逆巻き寄する海の牙に、涙に氷る枕を砕いて、泣く児を揺るは暴風雨ならずや。

母は腕のなゆる時、父は沖なる暗夜の船に、雨と、波と、風と、艪と、雲と、魚と渦巻く活計。

津々浦々到る処、同じ漁師の世渡りしながら、南は暖に、北は寒く、一条路にも蔭日向で、房州も西向の、館山北条とは事かわり、その裏側なる前原、鴨川、古川、白子、忽戸など、就中、船幽霊の千倉が沖、江見和田などの海岸は、風に向いたる白帆の外には一重の遮るものもない、太平洋の吹通し、人も知ったる荒磯海。

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