TRENDIA CLASSIC

森の声

薄田泣菫

1 / 2

自分は今春日の山路に立つてゐる。路の両側には数知れぬ大木が聳え立つて、枝と枝との絡みあつたなかには、闊葉細葉がこんもりと繁つて、たまたまその下蔭を往く山番の男達が、昼過ぎの空合を見ようとしたところで、雲の影ひとつ見つけるのは、容易な事では無い。何といつても、承和の帝から禁山の御宣旨があつて以来、今日まで斧ひとつ入らぬ神山である。夏が来て瑞葉がさし、冬が来て枯葉が落ちる。落ちた木の葉は、歳々の夢を抱いて、その儘再び大地に朽ち入つてしまふ。かうして千年の齢を重ねて見れば、一体の山の風情が、そんじよそこらに出来合の雑木林と、趣を異にしてゐるのは無理もあるまい。大気は冷つこい。山の肌はいつも下湿りがしてゐる。ありふれた山では、秋でなくては嗅がれぬ土の香が、どことなくしつとりと漂つて来る。

大なるかな、春日の森。海原をつくり、焔の山をつくり、摩西をつくり、鯨の背骨をつくつた大自然の手は、ここに又春日の森を造つてゐる。杉は暁方の心あがりに、天にも伸びよと、丈高く作つたものらしい。櫟は月曜日の午前、魂の張切つた一瞬に産み落したものらしい。竹柏は夕暮の歌であらう。馬酔木は折節の独り言かも知れぬ。いづれも持前の性分を思ふが儘に見せて、側目も振らず、すくすくと衝立つてゐる。大空は微笑を湛へて、額の上にひろがつてゐる。第一の光明はわが掌にといつた風に、いづれも骨太の腕をさし伸べてゐる。地に生れて天を望むといふのは、思ふだに痛ましい。痛ましいに違ひは無いが、その昔嫩葉を芽ぐんだ日より、もつて産れた各がじしの宿命である。木はその宿命を楽んで自らの代の終るまでは、ただの一日たりとも、その努力を休めぬ。時は皐月の半ば、古沼の藻も花をかざらうといふこの頃である。薄曇りした蒸暑い正午過ぎの温気に葉は葉の営みをし、根は根のいそしみをし、幹は幹のつとめを励む。まことに烈しい生活の有様である。

大杉のひとつがいふ。

「余りに高くなり過ぎて、どうにも心寂しくてならない。それにあの雲の襞がうるさい。電光など落ちて来るといいのに。」

若い馬酔木がいふ。

薄田泣菫の他の作品