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TORENDIA

老年と人生

本文約6,500字 ・ 読了時間 約13分

あらすじ(AIが作成しました)

五十歳を過ぎた著者は、かつて恐れていた老いという時期を、青年時代の陰惨な苦悩から解放された精神的余裕をもって振り返る。若き日の強烈な情念や物質的窮乏から脱し、現実を客観的に傍観する悦びを知る一方で、身体の衰えに伴う喪失感にも向き合う。本書は、芸術家や文学者の抱く老いへの恐怖を心理的観点から考察しつつ、日本人の死生観と修業のあり方を通じて、人生の不可避な苦悩と老年期に訪れる寛達の境地を綴る随筆である。

萩原朔太郎

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🎧 老年と人生 / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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老いて生きるということは醜いことだ。自分は少年の時、二十七、八歳まで生きていて、三十歳になったら死のうと思った。だがいよいよ三十歳になったら、せめて四十歳までは生きたいと思った。それが既に四十歳を過ぎた今となっても、いまだ死なずにいる自分を見ると、我ながら浅ましい思いがすると、堀口大学君がその随筆集『季節と詩心』の中で書いているが、僕も全く同じことを考えながら、今日の日まで生き延びて来た。三十歳になった時に、僕はこれでもう青春の日が終った思い、取り返しのつかない人生を浪費したという悔恨から、泣いても泣ききれない断腸悲嘆の思いをしたが、それでもさすがに、自殺するほどの気は起らなかった。その時は四十歳まで生きていて、中年者と呼ばれるような年になったら、潔よく自決してしまおうと思った。それが既に四十歳を過ぎ、今では五十歳の坂を越えた老年になってるのである。五十歳なんて年は、昔は考えるだけでも恐ろしく、身の毛がよだつほど厭らしかった。そんな年寄りになるまで生きていて、人から老人扱いをされ、浅ましい醜態を曝して徘徊する位なら、今の中に早く死んだ方がどんなにましかも知れない。断じて自分は、そんな老醜を世に曝すまいと決心していた。ところがいよいよ五十歳になってみると、やはりまだ生に執着があり、容易に死ぬ気が起らないのは、我ながら浅ましく、卑怯未練の至りだと思う。

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