彼は誰を殺したか
本文約13,000字 ・ 読了時間 約27分
あらすじ(AIが作成しました)
中条直一は、妻の従弟・吉田豊と妻の親密な関係に嫉妬し、殺害を計画する。海辺の崖で吉田を転落死させる機会を窺っていた中条は、吉田が自分たちを苦しめる曲を口笛で吹くのを聞き、殺意を固める。その後、中条は周囲から犯人視される苦悩と、亡き吉田の兄による復讐の気配に怯える日々を送る。本作は、ある殺人疑惑を巡る心理的葛藤と、無実を主張する男の追い詰められた末の行動を描く。
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一
男でもほれぼれする吉田豊のやすらかな寝顔を眺めながら中条直一は思った。
「こんな美しい青年に妻が恋するのは無理はないことかも知れない。どう考えても俺は少し年をとりすぎている。ただ妻の従弟だと思ッて近頃まで安心していたのは俺の誤りだッた。明日はどうしてもあれを決行しよう」
中条はこんなことを思い耽りつつ、海辺の宿屋の小さい一室で、真夏の暑苦しい夜を一睡もせず明かしてしまった。
彼は十五も年の違う美しい妻の綾子の愛に対して妙に自信がもてなかった。だから大抵の男が綾子に会うのを警戒していた。近頃ではこれが判然として来たので、心ある友人は彼を馬鹿にしながらも訪ねるのを遠慮するようになった。ただ今年大学にはいったばかりの綾子の従弟の吉田豊ばかりは平気でやって来て綾子と親しく話していた。又中条の方でも何らの不安もなかった。それはただ従姉弟同志だから、という理由からであった。
その吉田の最近の行動は、中条から云えばどうも許し難かった。従姉弟のことだ、自分との結婚以前にはどんなに親しかったか知れない。然し結婚後にもその親しさを延長されてはたまらないというのが、彼の気持だった。
実は、結婚後ますます親しく仲よくなって来たのじゃないかとさえ感ぜられる。
彼等を近づかせて居るものは表向きは音楽だった。ピアノのすきな綾子の所へ、ヴァイオリンが巧みな吉田がやって来て、この二つの楽器を合わせて楽しむことは当然のことだった、少くとも綾子と吉田にはそう思われた。
しかし、中条にとっては、夫が全く除外されているという時の状態は堪らなく不愉快だったのである。
吉田には兎も角、綾子にはこの夫の不快が判らない筈はなかった。けれども、綾子はそんなことを何とも思わなかった。こんなことを不快に思っている夫をもつことを恥とすら考えた。だからますます平気で吉田をよんでは合奏した。彼女は賢かった。成程中条は弱気な哀れな夫だったかも知れない。しかし彼女は火と戯れていることに気がつかなかった。こういう性質の男は時とすると犯罪に対しては、非常に勇敢になるものだからである。