所感
本文約3,600字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
「アヤカシの鼓」の当選を機に執筆された本稿は、著者が作品を書き上げる過程で陥った錯覚と、その執筆動機について綴る。能面に関する逸話から着想を得て探偵小説の形式を模索した際、自身の認識の甘さと探偵小説というジャンルに対する理解不足を自覚するに至った経緯を語る。他の作家の作品に触れ、この種の物語を執筆する困難さと奥深さを痛感した著者が、自身の執筆当時の妄執や錯誤を率直に告白し、選者や読者への謝辞と反省を述べる。
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「アヤカシの鼓」当選後の所感を書けとのことですが、只今のところ私のあたまは諸大家の御評を拝してすっかりたたきつけられていまして、いくらか残っていた自画自讃みたような気もちまでもパンクしてしまったばかりのところなので、所感なぞいう気もちにはとてもなれません。ですからここには只、私が執筆中知らず知らずに陥っていた錯覚がどんな風にこの一篇に影響しているかという原因についての告白みたようなものを述べまして、一つは選をなすった方の御苦心の万一に酬い、且つは私の心に消え残っている妄執を打ち消すよすがともさして頂きたいと思います。
震災後の或る年の秋でした。ある地方で私の師であるAという人の「俊寛」の能がありまして、私も地謡の末席として招集されましたので、私は職業の方を二日ばかり休むことにしました。
その能の前日のこと、A先生は同地の旅館の一室で私たちに俊寛の面を出して見せて、「震災でよごれたから手入れに遣ったらこんなに白く塗りかえてしまった。弱く見え過ぎて困っているんだが……」と云いました。「ヘエ」と云いながら私は手を支いて黙って見ておりますとうしろからその地方の富豪でBという人が、「C未亡人の処に素敵な俊寛の面がある」と耳打ちをしました。そこに居る人々の中で私だけがC未亡人に面識があることをB氏は知っていたらしいのです。私は誰にも云わずに只一人でC未亡人を訪れて、「突然でまことに何ですが、御秘蔵の俊寛の面を拝見さして頂けますまいか」と頼みました。すると未亡人は暗い顔になりまして、「それはお気の毒様ですが今はこちらに御座いません。或る方が東京へ持って行かれまして、どうしてもお返しになりませんので」と答えました。私はその時に、その「ある方」というのが、亡くなられた御主人C氏の謡曲の先生で、某流のD氏であることを直覚しました。同時にC未亡人の好意を感謝してお暇をしましたが、実はガッカリしてしまいました。もしその「俊寛」が良い面で、明日の能に対するA先生の不安を一掃することが出来たら……という私の期待がスッカリ裏切られたからであります。