漱石山房の冬
本文約1,500字 ・ 読了時間 約4分
あらすじ(AIが作成しました)
年少のW君と旧友Mに案内され、かつて夏目漱石が過ごした書斎を訪れた「わたし」は、そこで過ごした晩年の師との記憶を回想する。漱石が生前に語った創作への戒めや、生活の苦労、そして弟子たちとの交流が、冬の寒々しい書斎の情景とともに綴られる。師の死後、かつての書斎がもたらす追憶と、無邪気な質問を繰り返す現在のW君との対比を通じて、過ぎ去った時間と師への複雑な感情を描く。
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わたしは年少のW君と、旧友のMに案内されながら、久しぶりに先生の書斎へはひつた。
書斎は此処へ建て直つた後、すつかり日当りが悪くなつた。それから支那の五羽鶴の毯も何時の間にか大分色がさめた。最後にもとの茶の間との境、更紗の唐紙のあつた所も、今は先生の写真のある仏壇に形を変へてゐた。
しかしその外は不相変である。洋書のつまつた書棚もある。「無絃琴」の額もある。先生が毎日原稿を書いた、小さい紫檀の机もある。瓦斯煖炉もある。屏風もある。縁の外には芭蕉もある。芭蕉の軒を払つた葉うらに、大きい花さへ腐らせてゐる。銅印もある。瀬戸の火鉢もある。天井には鼠の食ひ破つた穴も、……
わたしは天井を見上げながら、独り言のやうにかう云つた。
「天井は張り換へなかつたのかな。」
「張り換へたんだがね。鼠のやつにはかなはないよ。」
Mは元気さうに笑つてゐた。
十一月の或夜である。この書斎に客が三人あつた。客の一人はO君である。O君は綿抜瓢一郎と云ふ筆名のある大学生であつた。あとの二人も大学生である。しかしこれはO君が今夜先生に紹介したのである。その一人は袴をはき、他の一人は制服を着てゐる。先生はこの三人の客にこんなことを話してゐた。「自分はまだ生涯に三度しか万歳を唱へたことはない。最初は、……二度目は、……三度目は、……」制服を着た大学生は膝の辺りの寒い為に、始終ぶるぶる震へてゐた。
それが当時のわたしだつた。もう一人の大学生、――袴をはいたのはKである。Kは或事件の為に、先生の歿後来ないやうになつた。同時に又旧友のMとも絶交の形になつてしまつた。これは世間も周知のことであらう。