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TORENDIA

田山花袋君に答う

本文約1,400字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

田山花袋から『三四郎』の執筆手法に関して誤った見解を指摘された著者が、反論を試みる。ズーデルマンの模倣という疑いを否定し、当時の文壇で重視された「自然な写実」と「作為的な創作」の境界について論じる。国木田独歩や花袋自身の作品への批評を交えつつ、自らの創作姿勢を表明し、今後も文壇の批評に対し一々答弁するわけではない旨を世間に宣告する論考である。

夏目漱石

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本月の「趣味」に田山花袋君が小生に関してこんな事を云われた。――「夏目漱石君はズーデルマンの『カッツェンステッヒ』を評して、そのますます序を逐うて迫り来るがごとき点をひどく感服しておられる。氏の近作『三四郎』はこの筆法で往くつもりだとか聞いている。しかし云々」

小生はいまだかつて『三四郎』をズーデルマンの筆法で書くと云った覚えなし。誰かの話し違か、花袋君の聞違だろう。疎忽なものが花袋君の文を読むと、小生がズーデルマンの真似でもしているようで聞苦しい。『三四郎』は拙作かも知れないが、模擬踏襲の作ではない。

花袋君は六年前にカッツェンステッヒを翻訳せられて、翻訳の当時は非常に感服せられたが、今日から見ると、作為の痕迹ばかりで、全篇作者の拵えものに過ぎないと貶せられた。褒貶は固より花袋君の自由である。しかし今日より六年後に、小生の趣味が現今の花袋君の趣味に達すると、達せざるとも固より小生の自由である。これも疎忽ものが読むと、花袋君と小生の嗜好が一直線の上において六年の相違があるように受取られるから、御断りを致しておきたい。

花袋君がカッツェンステッヒに心酔せられた時分、同書を独歩君に見せたら、拵らえものじゃないかと云って通読しなかったと云って、痛く独歩君の眼識に敬服しておられる。花袋君が独歩君に敬服せらるると云う意味を漱石が独歩君に敬服すると云う意味に解釈するものはないからこの点は安心である。

愚見によると、独歩君の作物は「巡査」を除くのほかことごとく拵えものである。(小生の読んだものについて云う)ただしズーデルマンのカッツェンステッヒより下手な拵えものである。花袋君の「蒲団」も拵えものである。「生」は「蒲団」ほど拵えておられない。その代り満谷国四郎君の「車夫の家」のような出来栄えである。

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