思い出草
本文約2,000字 ・ 読了時間 約4分
あらすじ(AIが作成しました)
松尾芭蕉や夏目漱石の俳句を糸口に、自身の思い出や科学的考察を交えて綴る随筆。子供時代に聞いた芭蕉の辞世の句にまつわる義兄の述懐や、椿が落ちる際の物理的挙動から漱石の句を再評価する試み、さらに漱石との交流の記憶を辿る。自身の年齢や経験の変化に伴い、かつては理解できなかった句の真実性や奥深さに触れ、俳句の鑑賞がいかに鑑賞者の背景と深く関わり、時を経て変容していくものであるかを論じる。
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一
芭蕉の「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」はあまりに有名で今さら評注を加える余地もないであろうが、やはりいくら味わっても味わい尽くせない句であると思う。これは芭蕉の一生涯の総決算でありレジュメであると同時にまたすべての人間の一生涯のたそがれにおける感慨でなければならない。それはとにかく、自分の子供の時分のことである。義兄に当たる春田居士が夕涼みの縁台で晩酌に親しみながらおおぜいの子供らを相手にいろいろの笑談をして聞かせるのを楽しみとしていた。その笑談の一つの材料として芭蕉のこの辞世の句が選ばれたことを思い出す。それが「旅に病んで」ではなくて「旅で死んで」というエディションになっていた。それを、首を左右にふりながら少し舌の滑動の怪しくなった口調で繰り返し繰り返し詠嘆する。その様子がおかしいので子供はみんな笑いこけたものである。しかし今になって考えてみると、かなり数奇の生涯を体験した政客であり同時に南画家であり漢詩人であった義兄春田居士がこの芭蕉の句を酔いに乗じて詠嘆していたのはあながちに子供らを笑わせるだけの目的ではなかったであろうという気もするのである。そうしてそれを聞いて笑いこけていた当時子供の自分の頭にもこの句のこの変わったエディションが何かしら深い印象を刻んだということも今になって始めて自覚されるようである。
二