若い人たちの意志
本文約4,800字 ・ 読了時間 約10分
あらすじ(AIが作成しました)
十代の若者が人生や社会に抱く悩みと、大人との間に生じる摩擦を論じる。家庭や学校という既存の枠組みの中で、人間として自立を模索する若者の瑞々しい苦闘を描き出し、大人たちが若い世代を単なる子供としてではなく、可能性を秘めた一人の人間として対等に向き合うことの重要性を説く。若者が抱く率直な批判や理想は、かつて大人であった者たちにとっても普遍的な人間としての課題であることを提示する評論である。
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ゆたかに、より能力のある人生を、というこころもちから、このごろの十代の人たちはどう生きているか、そして、どう生きようと欲しているか、という問題について注目されはじめている。
これは日本にとって、どういう角度からも決して無意義なことではない。若い女性というとき、これまでその若さは何となし結婚適齢期のぐるりで考えられていた。昔の人達が年ごろの若い方とよぶとき、それは女学校卒業ごろから結婚までぐらいの間の女性たちをさした。女性には年ごろという一つのよびかたがあっても、男の年ごろという考え方は昔からなかった。このことは、日本の社会の習慣のなかで、女性の一生とその運命とが、妻となる、という形に決定したものとして扱われて来た証拠であった。
十代の人たちが、社会の歴史にとって、注目すべき年代として登場して来たことは、日本の一般が、人間というものについて、いくらか複雑で立体的な理解をもちはじめたことを語っている。ほんとにどんな大人でも、しずかに自分たちが生きて来た道をかえりみれば、十二、三から十五、六、七歳ごろの月日が、どんなに感銘にみちたものであったか、考えずにはいられないだろう。大人は自分たちの十代をかえりみたとき、とかく、わたしがそのくらいの年ごろだった頃には、と、少年少女としての自分がおかれていた境遇と、それにつれて現在では物語めいて変化しているその時代の様相を想い起す場合が多いらしい。
そして多くの場合、そういう境遇とか、世相とかにおいて、いまの少年少女、わかい人々の生きかたと、かつてあった生きかたとを比較したがる。――しかもおとなとしてのきょうの心で――
だけれども、そういう方法は、大人の方法で、しかもふるい大人、若いものと自分たちという区別の意識からぬけられないタイプのおとなの方法だと思う。
多くの可能のひそめられている人間誕生として、赤坊を見るこころをもっているおとな。小さい人間の成長過程として男の子供、女の子供の生きかたを見まもるような表情をもっているおとな。