TRENDIA CLASSIC

大菩薩峠

中里介山

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内宮と外宮の間にあるから間の山というのであって、その山を切り拓いて道を作ったのは天正年間のことだそうであります。なお委しくいえば、伊勢音頭で名高い古市の尾上坂と宇治の浦田坂の間、俗に牛谷というところあたりが、いわゆる間の山なので、そこには見世物や芸人や乞食がたくさん群がって、参宮の客の財布をはたかせようと構えております。

伊勢の大神宮様は日本一の神様。畏くも日本一の神様の宮居をその土地に持った伊勢人は、日本中の人間を膝下に引きつける特権を与えられたと同じことで、その余徳のうるおいは蓋し莫大なもので、伊勢は津で持つというけれども、神宮で持つという方が、名聞にも事実にも叶うものでありましょう。

伊勢の人は斯様な光栄ある土地に住んでおりながら、どうしたものか「伊勢乞食」というロクでもない渾名をつけられていることは甚だ惜しいことであります。

「伊勢乞食」という渾名がどこから出たか、それにはいろいろの説があります。第一、参宮の道者をあてこんで、街道の到るところに乞食が多いからだという説もあります。また、伊勢人は一体に物に倹しく、貨殖の道が上手なところから、嫉み半分にこんな悪名をかぶらせたのだという説もあります。また、文化のころ世を去った古市寂照寺の住職で乞食月僊という奇僧があって、金さえもらえば芸妓の腰巻にまで絵を描いたというその月僊和尚の、世間から受けた悪名をそのまま伊勢人全体の上へ持って行ったのだという説もあります。

そんなことはどうでもよろしいが、伊勢の国に乞食の多いことは争われないので、そうしていま申す間の山あたりには、それが最も多いのであります。

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