大菩薩峠
本文約55,200字 ・ 読了時間 約111分
あらすじ(AIが作成しました)
甲府勤番の神尾主膳と分部は、新しく赴任する若年の支配・駒井能登守に対し、嫉妬と不安から反発心を抱く。一方、江戸から同行してきた米友がお絹から金銭を渡され暇を出されると、憤慨してその場を去る。お松は米友の突然の離脱に困惑し、自身の置かれた頼りない状況に不安を覚える。甲府という閉ざされた社会で、それぞれの思惑が複雑に交錯する様子を描く。
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一
甲府の神尾主膳の邸へ来客があって或る夜の話、
「神尾殿、江戸からお客が見えるそうだがまだ到着しませぬか」
「女連のことだから、まだ四五日はかかるだろう」
「なにしろ有名な難路でござるから、上野原あたりまで迎えの者をやってはいかがでござるな」
「それには及ぶまい、関所の方へ会釈のあるように話をしておいたから、まあ道中の心配はあるまいと思う」
「関所の役人が心得ていることなら大丈夫であろうが、貴殿御自身に迎えに行く心があったら、近いところまで行ってごらんになるもよろしかろうと思う」
「しからば、勝沼あたりまで行ってみようか知らん」
「勝沼までと言わず、いっそ笹子を越えて猿橋あたりまで行ってみてはいかがでござるな」
「笹子を越えるのはチト億劫だが、しかしまだ天目山の古戦場を初め、あの辺には見ておきたいと思ってその機会を得ない名所がいくらもある、そう言われるとこの際、行って見たいような気持がする」
「行って見給え、江戸からのお客というのを途中で迎えて、それを案内してあの辺の名所を見物し、その帰りに塩山の湯にでも浸ってみるも一興であろう」
「左様、それではひとつ、気休めをして来ようかな」
「それがよかろう」
と語り合っている一人は神尾主膳で、一人は分部という組頭。この二人が別懇の間柄であることはこの会話でも知れます。この話をしているところへ、
「お客様、山口四郎右衛門様がおいでになりました」
「ナニ、山口殿が見えたと? それはちょうどよい、分部殿もおらるる、直ぐにこれへお通し申すがよい」
「畏まりました」
まもなく山口四郎右衛門というのが入って来ました。
「やあ、分部殿もおいでか。大分寒くなりましたな、山国である故、寒さの来ることも早いのはぜひもないが、それにしてもまだこんなはずはあるまい」
「左様、八ヶ岳にも雪が深いし、地蔵岳も大分被りはじめたようだから、それが風のかげんで甲府の空を冷たくするのであろう、なかなか寒い」
「まあ、ここへ来て温まり給え、寒さ凌ぎに一献参らせる」
「催促をしたようで恐れ入るな」