本文へ移動
TORENDIA

机の前の裸は語る

本文約770字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

著者自身による作品の集大成の刊行と、それをもって創作活動に区切りをつける決意を綴る。また、書籍購入の対価と読書という行為の不条理さを独自の視点から批判的に論じる。さらに、手紙や金銭の支払いに対する筆不精や日常の窮屈な生活事情についても率直に明かす。創作からの引退宣言と読書論、そして日々の心境を記した随筆である。

尾形亀之助

速度
🎧 机の前の裸は語る / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 1

私はこの九月末か十月初め頃までの間に、かびのついたするめのやうな昨年と今年との作品十数篇からなる表題未定の一本を四五十部印刷して、これを最後の集として年来親しくしてもらつた友人へ贈呈する。大正十三年に「色ガラスの街」――昭和四年に「雨になる朝」――そして、この表題未定の一本を最後とすることには何の意味もない。もうこれでたくさんだといふことゝ、自分の将来にもさうしたことをする義務もなければ何もないといふことをはつきり考へたにすぎない。

×

本を読むといふことは、勉強だとか趣味だとかいふすべてをふくんで、料理されたものを食ふといふことよりもはるかに馬鹿げてゐる。――といふことに私は少しばかり気がついた。

例をあげれば、五十銭出して本を買ふといふことは、多くの場合銭を出したばかりでなく、その上その内容を読まされるといふことになる。だが、かうした取引の九分九厘――大部分の読者にはその全部の場合発行者又はその筆者の方から銭を出して、さあこれを上げるから読んで呉れとなるべきではなからうか。それなのに、うかつにも銭を出したり読まされたりしてゐることは全く馬鹿げてゐる。それよりも五十銭で何か食ふ方が利口だ――と。殊に「勉強」のためとあつてはなほのことさうした場合が多さうではないか、と。

又、本そのものの内容に至つては、それを読んでゐる間の煙草代コーヒー代は勿論一日又は二日の生活費を出してまだ足らぬといふしろものの如何に多きや云云――といふ次第ではないでせうか。こんなこと言つてわるいんですけれども――。

×

贈呈されたもののお礼、季節の見舞ひのお礼はいつも筆ぶしよう。例へば月末に金を取りにくるから新聞を取るのをやめやうと思つてゐるといふやうなわけ、米屋酒屋へも亦同じ。おゆるし下さい。

(一九三〇、八月十日) (詩神第六巻十号 昭和5年10月発行)

完

尾形亀之助の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本