鬼畜の言葉
本文約2,100字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
五月を迎えた日本で平和と命の尊厳が語られる中、朝日新聞「天声人語」は米国の幼児救出劇を通じ、人の命を大切にする心の育成を訴える。対照的に『中央公論』掲載の座談会にて鈴木文史朗は人口問題の解決策として数千万人の殺害を主張。本書は、この暴言を「鬼畜の言葉」と断じ、戦時中のナチスへの傾倒から続く権力側の残酷さを告発する。民主化や平和への希望を根底から揺るがす言説に対し、人間としての尊厳と相互責任を掲げて抗議する。
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メーデーからはじまって、五月は国民一般の祝日の多い月だった。憲法記念祭、子供の日、母の日。どれをとっても、それぞれに新しい日本に生きるよろこびとはげましと慰藉とを意味しないものはなかった。そしてそれらすべての心がめざすところは、世界の平和であった。四月末の、政府のきめた婦人週間にしろ、ことしは、はっきりと百数十万の日本の未亡人の問題がとりあげられた。そして、ここにも希望されたのは平和であり、生きてゆく人の命の尊さとその運命に対するまじめな相互責任についての考え直しであった。子供の日にちなんで、五月二日の朝日新聞「天声人語」に「ケティを救え」の物語がのっていた。四月八日の午後、カリフォルニア州サン・マリノ町であき地に遊んでいたケティという三つの女の児が、草むらにかくれていた古井戸へおっこちた。サン・マリノのその古井戸は、日本の古井戸のようにはしごで人がなかへ降りてゆくことはできなかったとみえて、三十六メートルの底におちたケティのために、新鮮な空気をおくりながら、古井戸に沿って三日間タテ穴をほりつづけた。人々がやっとケティのところに行けたとき、幼いケティは死んでいた。「天声人語」がとりあげて語るところは、この一人の幼児の生命のためにサン・マリノの全住民がケティを救えと協力したばかりでなく、ラジオを通じてほとんど全米の注意がケティの安否に向けられた点だった。人の命を荒っぽく扱うにならされた日本のすべての人が、ひとの命、自分の命の尊厳を知ること。人間同士にそくいんの情をもつこと。その心がつちかわれないなら日本の民主化とか平和への希望というものは根をもたないことを強調していた。これは、吉村隊の惨虐を筆頭として、それに類する数々の軍国主義教育の荒々しさ、殺戮性への抗議として読者の心にアッピールした。平気でバサリとやる馘首も、惨澹たる生存威嚇であるという事実にまで思い及んで。――