カメラの焦点
本文約2,100字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
父のコダックとの出会いから始まり、海外での光景、日本における普及の様子、そして写真機への課税が勤労青年たちに与える影響まで、カメラにまつわる個人的な追憶や社会的な側面を綴る。写真が人々の日常や集団生活の中にいかに浸透し、ささやかな愉しみとして根付いているかを考察しつつ、新たな税が生活に及ぼす切実な感情の変化や、現代の日本における写真愛好の特異な風景を多角的に描き出す随筆である。
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写真機についての思い出は、大層古いところからはじまる。
私が九つになった年の秋に、イギリスに五年いた父親がかえって来た。横浜へ迎えにゆくというので、その朝は暗いうちに起きて、ラムプの下へ鏡台を出して母は髪を結った。私は当時ハイカラであった白いぴらぴらのついた洋服を着せられて行ったが、船宿へついた時は雨であった。俥で波止場へ向ったが、少し行ったところで俥が逆もどりした。幌がかかっていて何が何だか分らなかったが又船宿の土間におりたら、そこへ別な俥から下りた父が立っていたので、びっくりしたし嬉しく甚だきまりがわるかった。
大人が多勢ガヤガヤしていて傍へもよりつけないので、私は、父が肩へかけて呉れた茶皮のケース入りの写真機を枕にして横浜からの汽車の中で眠ってしまった。それはコダックの手札形であった。
弟が十八九の頃、写真にこった。家族のものや静物をその父の古いコダックでよくとった。自分では写真機を余りもたず、外国を旅行したとき伯林でこんな笑い話を友達からきいた。ドイツの小学生に先生が質問した。日本人と米国人とはどこがちがいますか? 子供の答えに曰く。年よりで、ズボンに筋がなくて、眼鏡をかけて、写真機をもっているのが日本人です。アメリカやドイツへ行くと、レンズがよいのが魅力で税のかからぬところで誰でも買おうと思うのだろう。