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TORENDIA

技術の哲学

本文約83,800字 ・ 読了時間 約168分

あらすじ(AIが作成しました)

文明批評の立場から技術の問題を論じる。資本主義社会における技術は経済危機を背景にイデオロギー的に利用されるが、産業技術家による危機の解消手段という空想も、現実の矛盾を止揚できずかえって深刻化させる。対照的に社会主義建設と結びつく技術の役割を提示しつつ、現代の解釈哲学や知識人の知能技術が抱える問題や、学生層の思想的変化が社会構造の推移に規定されていることを考察する。

戸坂潤

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私は今特に、文明批評又は文化批判の立場から、技術の問題を取り上げる。「技術の哲学」と名づけた理由は之である。そしてここでは主に、技術をイデオロギー理論に関係させて取り扱おうと思ったのである。

この問題についてはまだまだ書くことがあると思うから、序説の積りで之を出版したいと考える。――検閲にそなえるために正確に云い表わせない点があったのは残念だ。

一九三三・一二・六

戸坂潤 [#改ページ]

技術の問題

わが国の現在の言論界では、必ずしも技術の問題が最も重大な問題の一つになっているとは限らないように見える。その原因を見出すことは困難でないだろう。併し技術の問題が今日、様々な対立関係を通じてであるが、最も重大な国際問題の一つになっているという事実は注目を必要とする。ではなぜ今日――吾々にとって――技術は問題とならねばならぬか。又どういう諸形態の問題としてそれが問題にされ得るか。

封建制下の社会の文化にとっては言葉が或る意味で代表的な役目を有っていた(ギリシア的ロゴス・スコラ的文義的思弁・又我が国に於ける夫々の時代の仏典漢籍国学等々の解釈文化・等)。資本制社会に於ては之に反して、技術が文化の重大な――尤も唯一ではないが――特徴をなしている。之は以前から云われたことである。

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