TRENDIA CLASSIC

科学的精神とは何か

戸坂潤

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初めに引用というものに就いて述べる必要があると思う。引用の天才はかつての福本和夫氏であった。彼の論争文はその文章の殆んど五割に及ぶ内容が、論敵からの引用と、マルクス・エンゲルス・レーニン其の他及びこの人達によって批判された人間達からの引用、によって占められている。彼の手によって、論敵の思想は凡て、マルクス・エンゲルス・其の他によって批判攻撃された人間の文章に引き直されるか、そうでなければマルクス・エンゲルス・其の他の人の文章を借りて、福本その人から批判攻撃を受けるのだ。

この場合、注意すべきは、この引用が古典的な乃至典型的な公式として役立っているということだ。彼は先行者の文章を公式として引用する。之は引用の第一の用途だろう。問題はただ、特殊の具体性をもったその時々の思想内容をば古典的な公式に還元することによって、折角の特殊性や具体性が失われはしないかという点にある。特殊性や具体性と思われたものが、実は単に末梢的な偏異にしか過ぎない場合は、之を公式に還元することは却って批判対象たる思想の固有な特色を浮き彫りにすることだが、もしそうでなくて、事実上問題の核心が規定の公式よりも一歩進んでいる場合、つまり公理や定理ではなくそれから導かれた一層細かい規定を有つ系のようなものが必要な場合この系を定理や公理という公式に還元してしまうことは、結局公理がその公理自身を証明するようなもので、認識の空まわりにしか過ぎぬだろう。公式が用いられたのではなくて、公式が単に反覆自らを証明したに過ぎぬ。これは科学的には、誤ってはいないにしても少なくとも無用な操作なのだ。

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