TRENDIA CLASSIC

世界の一環としての日本

戸坂潤

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ここに編纂したものは、必ずしも研究論文ではない。と共に一時的な時評でもない。私は、時代の評論とでも云うべきだと考える。大体から云うと、ごく啓蒙的なものであるから、無用な先入見にわずらわされない読者には、読みよいものかと思われる。

日本は世界的な角度から見られねばならぬ、というのが私の一貫する態度だ。これは、日本は民衆の立場から見られねばならぬということに基くのである。ここに私が民衆と呼ぶのは、支配者が考えるあの民衆のことではなくて、自主的に自分の生活を防衛して行こうとする民主的な大衆のことだ。

すでに一旦発表されたものに相当手を加えたものであるが、特に日本型ファシズムに就いての私の予備概念には多少の変化があるのだが、その点に関係する部分を徹底的に書き改める都合がつかなかったのは残念である。

この本と直接関係のある拙著を三つ挙げておこう。第一は『日本イデオロギー論』(白揚社)、之は大部分理論的なものである。第二は『現代日本の思想対立』(今日の問題社)、之は時評集である。第三は『思想と風俗』(三笠書房)で、日本の教育と宗教との風俗描写を含んでいる。そして本書は第一と第二の中間に立つものだ。

一九三七・三・一五

東京 戸坂潤 [#改ページ]

第一部 日本の社会現象

1 官公吏の社会的地位

かつて農林省の小作官会議に於て、この頃しきりに小作争議に内務官吏が乗り出す傾向があるというので、非難が出たそうだが、其の後また、労働争議に官憲がのり出して、純正日本主義や皇道経済の名によって、労資協調的労働組合の組織を企てたり、争議の一種の指導に当ったりしたというので、労資(?)の両陣営から非難を招くに至ったのは、新聞が報道する処である。

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