TRENDIA CLASSIC

現代日本の思想対立

戸坂潤

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二三年来、問題に触れて書いて来た社会評論の内から、手頃と思われるものを選んで、出版することにした。私はかねてから、批評の任務は努めて客観的公正を守るということにあると信じている。観察者には色眼鏡があってはならない、事実そのものをして語らせなければならないのである。

尤も又私が信ずる処によると、評論は如何なる場合にも文学的特色を有っていなければならない。その結果、この小著にもまた私自身の特色のようなものが、自然と出ている。だが、思うに私というものは、現代日本に於ける民衆のただの一人であって、別に変った人間ではない。私の言論は多少とも通用する筈だと信ずる所以だ。

一――六は思想界一般について、七――一一は自由主義反対の動きについて、特に一二――一四は国体明徴問題について、一五――一七は農村対策の問題について、一八――二〇は経済財政の問題について、夫々思想問題の角度から論じたものである。

一九三六・一二

東京 戸坂潤 [#改ページ]

一 三四年度思想界の講評

昭和九年(一九三四年)一月以降について話をしたいと思う。便宜上、そうするばかりではなく、この年の一月を境にして、二三年来の日本の支配者的思想の動向に多少の変化が来たと世間では考えているからだ。

この時を機会に政党や資本家や官僚は、軍部の社会的進出に条件をつけることが出来だしたと考えられている。前年あたりは全く手も足も出なかった、ブルジョアジー乃至地主の代表者達は、この年にはいってから、とにかく相当底力のある対抗を外面上軍部に対して感じさせているのが見られる。常時の在満機構改組問題の紛議などが、その著しい一例だろう。

尤も軍部と政党乃至官僚とがいがみ合っているからといって、その対立をあまり正直に取ってはならない。鷸蚌の争いは漁夫の利ということもないではないが、兄弟牆にせめげども外その侮りを受けずという真理も忘れてはならぬ。こういう喧嘩は、ちょうど夫婦喧嘩のように、どこまでが本気で、どこからが狎れ合いかということが、当人達にも仲々わからないものだ。

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