バルザックについてのノート
本文約4,300字 ・ 読了時間 約9分
あらすじ(AIが作成しました)
十九世紀フランスの作家バルザックの小説世界と散文の特質を論じる。強烈な性格を固定された人物たちが、金力と権力に支配された社会の中で織りなす紛糾した関係を、徹底して描き抜く巨大な筆力を称賛する。さらに、生活の現実を活写する強壮な散文の魅力に触れつつ、近代文学における人物描写や当時の歴史的背景、他作家との比較を通じて、バルザックがリアリストとして描き出した人間像と精神的な檻について考察を綴る。
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バルザックの小説
バルザックの世界において、性格は寧ろ単純である。強烈ではあるが、各々がタイプとして凝固されている。その性格の中にとじこめられている。むしろきゅうくつに存在している。主人公たちは自身で自分たちの性格を破る力を与えられていない。
しかし、真におどろくべきことは、バルザックがこのむしろ単純な性格の人々が遭遇した社会的関係の紛糾を描き出している巨大な力量である。
彼が大作家たる所以はここにある。
「幻滅」のリュシアンは、高く低く波瀾は大きいにしろ、性格としてはありふれて凡俗な才気と野心と浮薄さと意志しかもっていない。しかし彼を翻弄した上流人の生活詐術、十九世紀の金力と結びつき権力と結びついた新聞人の無良心的な関係、手形交換に際して行われる金融の魔術――アングレークにおけるプティクローがリュシアンに対してとる態度――を描くときバルザックは殆ど淋漓たる筆力を示している。
彼が、関係を描破した作家であるということには、未来への示唆があり、この作家が文学上のモニュメントとなってしまわず常に生きかえる力をもっていることの証左である。
何故なら、二十世紀後半の文学は、益々人間の集団と集団の関係を真実のテーマとする必然にあるから。
散文
バルザックの散文は強壮である。「幻滅」などの傑作においてはことにそれが感じられる。生活力があふれ、人生の現実に充ち各行が何かを語り、紛糾の深味が次々へと、新鮮な炭酸水のように活気横溢してみなぎっている。
ヨーロッパ文学においてもバルザックの散文の強壮さは失われた。大戦後は散文は神経腺のようなものになり、さもなければ破産的なものに細分された。
アランの散文に対する誤った理解はよくそれを語っている。
日本の近代文学において、散文はどんな伝統に立っているだろうか。
そういう見地から見ると、漱石の散文は秋声の「あらくれ」「黴」などからみるとずっと、弱い。志賀直哉の散文はよくやかれた瓦できっちりとふかれた屋根屋根の起伏の美しき眺望のように見るものの心にうつるたしかさをもっている。が、生活の中からせり出して来る生々しい建造物の規模はもっていない。