年賀状
本文約3,200字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
五十二歳の科学的小説家、鵜照はかつて年賀状を年の瀬の苦行として嫌悪し、その不毛さを説いていた。しかし、歳を重ねるごとに年賀状への見方を大きく変え、その効能や有難味について独自の理論を展開し始める。人間関係の広がりや過去の追憶、あるいは自身の死後に備える名簿としての価値を見出すようになったこの人物の、年賀状に対する観念の変遷と、科学的理屈を並べたがるその滑稽な姿を綴る随筆である。
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友人鵜照君、明けて五十二歳、職業は科学的小説家、持病は胃潰瘍である。
彼は子供の時分から「新年」というものに対する恐怖に似たあるものを懐いていた。新年になると着なれぬ硬直な羽織はかまを着せられて親類縁者を歴訪させられ、そして彼には全く意味の分らない祝詞の文句をくり返し暗誦させられた事も一つの原因であるらしい。そして飲みたくない酒を嘗めさせられ、食いたくない雑煮や数の子を無理強いに食わせられる事に対する恐怖の念をだんだんに蓄積して来たものであるらしい。
それでも彼が二十六の歳に学校を卒業してどうやら一人前になってから、始めて活版刷の年賀端書というものを印刷させた時は、彼相応の幼稚な虚栄心に多少満足のさざなみを立てたそうである。しかし間もなくそれが常習的年中行事となると、今度はそれが大きな苦労の種となった。わがままで不精な彼にとって年賀状というものが年の瀬に横たわる一大暗礁のごとく呪わしきものに思われて来たのだそうである。
「同じ文句を印刷したものを相互に交換するのであるから、結局始めから交換しないでも同じ事である。ただ相違のある点は国民何千万人が総計延べ時間何億時間を消費し、そうして政府に何千万円の郵税を献納するか、しないかである。」
こんな好い加減の目の子勘定を並べてありふれの年賀状全廃説を称えていたが、本当はそういう国家社会の問題はどうでもよいので、実際はただせっかくの書きいれ時の冬の休みをこれがために奪われるのが彼の我儘に何より苦痛であったのである。
字を書くことの上手な人はこういう機会に存分に筆を揮って、自分の筆端からほとばしり出る曲折自在な線の美に陶酔する事もあろうが、彼のごとき生来の悪筆ではそれだけの代償はないから、全然お勤めの機械的労働であると思われる上に、自分の悪筆に対する嫌忌の情を多量に買い込まされるのである。この点はいくらか同情してもよい。