二科会展覧会雑感
本文約3,500字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
二科会展覧会を訪れた著者が、素人ならではの気楽な立場から鑑賞した際の雑感を綴る。安井曾太郎や山下氏をはじめとする出品作家の作品について、個別の印象や独自の解釈を率直に述べる。あわせて、芸術作品における「自己」と「天然」の関わり方、批評のあり方についても考察を加える。プロの批評家とは異なり、権威にとらわれない純粋な享楽としての鑑賞を通じ、絵画から受けた直感的な反応を記録した随筆である。
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同じ展覧会を見て歩くのでも、単に絵を見て味わい楽しもうという心持で見るのと、何かしら一つ批評でもしてみようという気で見るのとでは、見る時の頭の働き方が違うだけに、その頭に残る印象にもかなりの差があり得る訳である。尤もほんとうに絵を味わい楽しむためには、ある意味での批評をしなければならない事は勿論であるが、しかし、意識的に批評のための批評をしようという心持があっては、芸術品を楽しみ味わう邪魔になるばかりでなく、却って本当の正しい批評をすることの障碍になりはしまいか。この点はプロフェッショナルな批評家の、苦心の要るところだろうと想像される。
自分等のようなものが絵の展覧会を見るのは、何時でも絵を見て楽しむためである。だから、如何に評判の絵でも、自分に興味のないものは一度きりで見ないで済むし、気に入った絵なら誰に気兼ねもなく何遍でも見て楽しむことが出来る。このような純粋な享楽は吾々素人に許された特典のようなものである。そうして、自分等がたとえ玄人の絵に対して思ったままの感じを言明しても、それは作者の名誉にも不名誉にもならないという気安さがある。これは実に有難い事である。無責任だというのではないが、何人をも傷つけること無しに感情の自由な発表が許されるからである。
そういう前提を置いて、今年の二科会展覧会の絵を見たままの雑感を書いてみる事にする。
安井氏の絵がやはり目立って光っている。なんだか玉か石を溶かしたもので描いてあるような気持がする。例えば、白ばらの莟の頭の少し開きかかった底の方に、ほのかな紅色の浮動している工合などでも、そういう感じを与える。デリベレイトに狙いすましては一筆ずつ著けて行ったものだろうと想像される。そういう点で、これらの絵は、有り来りの油絵よりは、むしろ東洋画に接近しているかもしれない。
この人の絵には詩が無いという人もあるが、強ちそうでもないと思う。少なくも今年の花や風景には、たしかに或る詩と夢がにじんでいる。忠実に自然を掘り返していれば、そこから詩の出て来ないという法はない。