伝統と進取
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あらすじ(AIが作成しました)
伝統の固守に安住しているという周囲からの批判に対し、著者は自らの姿勢を検証する。西洋文化から学ぶべき点は積極的に取り入れ、故国の文化を発展させる必要性を論じる。一方で、自身の伝統に対する深い愛着が、時代の潮流に左右されるものではなく、一貫した信念に基づいていることを綴る論考である。
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ひたすらに伝統の匂いをかいで足れりとする者であるかのような非難を私は近頃うけた。これは馬鹿げた非難だと一口でいってしまえばそれまでのことであるが、また考えようによってはいい機会でもあるから、果してこの非難が当っているかどうかを、私は出来るだけ客観的に自分について調べてみたいと思う。
この非難は二つの事項を含んでいる。ひたすら伝統の匂いをかぐというのが一つであり、それだけで足れりとするというのがもう一つである。まず第二の点から考察していこう。私が伝統の固守をもって足れりとする者でないことは私自身にはあまりにも明白なことである。私は西洋文化からも大いに学ぶべきところのあることを堅く信じている者で、私の生活の一半は西洋文化の学習に捧げているようなものである。故国の文化はますます肥っていかなければならない。そのためには外国の新しいものの長を採っていかなければならない。このことはあまりに解りきった平凡なことで今日となってはことさら主張するのも可笑しいほどである。単に学術や技術の上のみならず芸術や道徳の領域にあっても色々と西洋から学ぶべきところのあることを私は深く信じている。日本人がともすれば自惚れがちで世界のどこに比してもすべての点で遜色ないもののように考えるのは甚だ間違っていると私は思う。我々は色々の点で新規なものを取入れて進んでゆかなければならない。私は伝統の固守をもって足れりとする者では決してない。
次に第一に挙げた点、すなわち私がひたすら伝統の匂いをかぐということはどうであるか。この点は私は全面的に是認するものである。私が『「いき」の構造』を書いた頃はマルクス主義全盛の頃で、私は四面楚歌の感があった。数年経って「外来語所感」を発表したこのごろは、外囲の事情が全く反対になってしまって、ある読者には私が現時流行の日本主義に阿諛苟合するかのような感を与えたかも知れない。『「いき」の構造』から「外来語所感」に至るまで私にあっては同一の信念の同一の流れである。変化したのは外囲の事情である。