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TORENDIA

偶然の産んだ駄洒落

本文約1,000字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

駄洒落を単なる低俗な遊びと見なさず、人生に朗らかな影を投げるものと肯定する九鬼周造が、自らの体験や知人の逸話を交えつつ、言葉の偶然が生む滑稽さや言語的背景による認識の相違を綴る。天野貞祐がアマゴをアナゴと取り違えた出来事や、喫茶店でビスケットという古語が通じず作者が感じた世代間の隔たりなど、日常に潜む音の類似がもたらす微笑ましい情景を描き出し、それら事象の背後にある言語的な関係性を軽妙な論調で考察する。

九鬼周造

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🎧 偶然の産んだ駄洒落 / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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駄洒落を聞いてしらぬ顔をしたり眉をひそめたりする人間の内面生活は案外に空虚なものである。軽い笑は真面目な陰鬱な日常生活に朗かな影を投げる。ある日、私がパリで散髪をしていると理髪師が私に向ってデ・ジャポネー(日本人)は騎兵は要らぬそうですねといった。何のことかと聞くとデジャ(既に)ポネー(小馬)だからといった。人を馬鹿にしているこの駄洒落は異郷の旅愁をかえって慰めてくれた。旅愁は人生の旅にもおそいかかってくる。軽い駄洒落も時には悪くない。ポール・ヴァレリイは同韻の二つの言葉を双児の交わす微笑に譬えている。偶然の戯れが産んだ三つ児を二組紹介しても別に誰も咎める者はないだろう。

その一つは既に新聞に載ったこともあるからある人々には旧聞に属するかも知れない。和辻哲郎君がまだ京都にいた頃のことである。西田幾多郎先生をお誘いして貴船へ遠足してアマゴでも食べようということになった。天野貞祐君が西田先生のところへ行ってアナゴを食べに貴船へお出になりませんかというと、先生はアナゴのような脂ッこいものはおれはいやだと答えられた。天野君が和辻君にその由を伝えると和辻君はアナゴではなくてアマゴであることを説明した。西田先生もアマゴなら食ってもいいといわれて貴船行の計画がめでたく成立った。これはアマノがアマゴとアナゴを間違えた話である。関東育ちでカントの『純粋理性批判』の訳者である天野君はアナゴは知っていたがアマゴを知らなかったのである。

今年の歳末にその天野君と落合太郎君と私とで寒い晩に四条通の喫茶店へ茶を飲みに行ったことがある。給仕の少女に九鬼は紅茶とビスケットをくれないかといった。ビスケットってクッキーのことですかと少女が尋ねた。九鬼は「クッキーなら貰わないでもこっちから上げるよ」といって笑ったが、何かしら胸にグキット感じた。ビスケットという古い言葉がクッキーという新しい言葉に代ってしまっているのを初めて知って、自分の住んでいる古い世界と少女の住んでいる新しい世界との間隔に軽い目まいを感じたのである。これはクキがクッキーでグキットした話である。

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