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TORENDIA

能ぎらい/能好き/能という名前

本文約4,300字 ・ 読了時間 約9分

あらすじ(AIが作成しました)

日本の大衆の多くは、能を退屈で理解しがたい芸術として批判する。しかし、自ら舞や囃子を習うことで、その単調さに潜む深淵な魅力や表現欲との共鳴を実感し、熱狂的な愛好家へと変貌する者が存在する。本書は、洗練された身体動作や心理状態の本質である能を、日常生活の精髄であり、仮面と装束を用いて生命を表現する舞台芸術であると論じる。併せて、物真似の極致としての「能」という名前の由来と、その神髄を解き明かす。

夢野久作

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能ぎらい

日本には「能ぎらい」と称する人が多い。否。多い処の騒ぎでなく、現在日本の大衆の百人中九十九人までは「能ぎらい」もしくは能に対して理解をもたない人々であるらしい。

ところがこの能ぎらいの人々について考えてみると能の性質がよくわかる。

目下日本で流行している音曲とか舞楽というものは随分沢山ある。上は宮中の雅楽から下は俗謡に到るまで数十百種に上るであろう。

ところでその中でも芸術的価値の薄いものほどわかり易くて面白いので、又、そんなものほど余計に大衆的のファンを持っているのは余儀ない次第である。つまりその中に「解り易い」とか「面白い」とか「うまい」とか「奇抜だ」とか「眼新しい」とか言う分子が余計に含まれているからで、演者や、観衆、もしくは聴衆が余り芸術的に高潮せずとも、ストーリーの興味や、リズムの甘さ、舞台面の迫真性、もしくは装飾美等に十分に酔って行く事が出来るからである。

然るに能はなかなかそうは行かない。第一流の名人が演じても、容易に共鳴出来ないので、坐り直して、深呼吸をして、臍下丹田に力を籠めて正視しても何処がいいのかわからない場合が多い。

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