久し振りに上京すると感心する事ばかりである。音のないゴーストップに面喰らい、自動車の安いのに感心し、警視庁の親切なのに恐れ入るなぞ、枚挙に暇あらず。少々痛め付けられ気味で、故郷へ帰りかけている処へ、或る人のステッキ・ボーイとなって相州小田原、板橋の益田孝男爵のお宅を訪問する事になった。
益田男爵と言えば人も知る三井の大久保彦左衛門で、兼、日本一の茶人である。名ある財界の大立物は勿論の事、相当有名な茶の湯の大家でも容易に咫尺する事が出来ない。もし一度でも翁の家の縁側に上る事が出来たら一代の名誉になろうと言う。そこへ金と言い、お茶の湯と言い、全然嗜みのない本来無一物が、偶然中の偶然とも言うべき機会から、何も知らずに参室したのだから、一代の光栄どころでない。タッタ一時間ばかりの間に一代の恥辱を掻き上げてしまったらしい。
全く「らしい」と思うだけである。実際は自分でもどうだったかわからないのだから、いよいよ以て冷汗三斗である。
頼うだ御方と、今一人の富豪と筆者と、三人歴行して自動車を降り、二月末の曇雲の下を藁葺のお寺じみた門に進むと、益田翁は黒い背広に宗匠頭巾庭穿靴でニコニコと出迎えた。先頭の頼うだ御方の背広に耄碌頭巾と調子を合わせたものであろう。まさかスパイ戦術を使ったものではあるまいがと感心した序に少々気味悪くもなった。
家は普通の百姓家を、モウ一つ凝って更に百姓家らしく造作したもの。縁側に木綿車と砧が置いて在る。庭はなくて、全部手入れの届いた野菜畑である。ホーレン草、キャベツなぞ。入口に架けた翁瓦の笑顔が主人公の益田男爵にソックリである。
土間は真中に新しい黒い藁灰を入れて巨大な堅炭が三角の井桁に重なり合ったまま起っている。煤けた天井からは勿論、真黒な自在鍵、周囲に縄や茣蓙張りの椅子なぞ。見まわせば見まわす程、どこまで凝ってあるかわからない。成る程と思わせずには置かない茶人の拷問道具ばかりらしい。