大菩薩峠
本文約77,500字 ・ 読了時間 約156分
あらすじ(AIが作成しました)
下谷の長者町で開業する医師・道庵先生は、隣地に屋敷を構えた成金の鰡八大尽に憤慨している。高慢な大尽への反感から対立する二人であったが、ある夜、大尽が急病に陥り、家臣たちが道庵の門を叩く事態が発生する。一方、不可解な遺留品が見つかる事件や、行方不明の米友を追うお松の周辺で怪しい影が交錯する。大尽と道庵の確執の行方、そしてお松に迫る伯母・お滝の影など、複雑な人間関係と事件が重なり合い物語が展開する。
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一
下谷の長者町の道庵先生がこの頃、何か気に入らないことがあってプンプン怒っています。
その気に入らないことを、よく尋ねてみるとなるほどと思われることもあります。それは道庵先生のすぐ隣の屋敷地面を買いつぶして、贅沢な普請をはじめたものがあるのであります。道庵先生ほどのものが、他人の普請を嫉むということはありません。その普請が出来上るまでは、先生は更に頓着をしませんでしたけれども、いよいよ出来上って、その事情が知れた時に、先生が非常に憤慨してしまいました。その普請というのは、そのころ有名な鰡八大尽というものの妾宅なのであります。
鰡八大尽というのは、その頃の成金の筆頭でありました。みすぼらしい棒手振から仕上げて、今日ではその名を知らないもののないほどの大尽であります。それは国内に聞えた大尽であるのみならず、外国人を相手に手広い商売をしました。糸の取引をしたり、唐物の輸入をしたり、金銀の口銭を取ったり、その富の力の盛んなことは、外国までも響き渡るほどの大尽でありました。
「おれの隣へ来たのは鰡八の野郎か、それとは知らなかった、口惜しい」
道庵先生は、それと知った時に歯噛みをしたけれど、もう追附きません。
その妾宅が出来上ると盛んなる披露の式がありました。集まる者、朝野の名流というほどでもなかったけれど、多種多様の人が集まって、万歳の声が湧くようでありました。それを聞いて道庵先生は、火のように怒ってしまいました。その後とても、毎日毎日、鰡八大尽の妾宅へ詰めかける朝野の名流(?)は少ない数ではありませんでした。その門前の賑やかなことは長者町はじまって以来の景気であります。ところが道庵先生の方は、相変らずの十八文でありました。その門を叩く人も十八文に準じた人で、朝野の名流などはあまり集まらないのであります。