一
宇治山田の米友は、碓氷峠の頂、熊野権現の御前の風車に凭れて、遥かに東国の方を眺めている。
今、米友が凭れている風車、それを米友は風車とは気がつかないで、単に凭れ頃な石塔のたぐいだと心得ている。米友でなくても、誰もこの平たい石の塔に似たものが、風車だと気のつくものはあるまい。子供たちは、紙と豆とでこしらえた風車を喜ぶ。ネザランドの農家ではウィンドミルを実用に供し、同時にその国の風景に情趣を添えている。が、世界のどこへ行っても、石の風車というのは、人間の常識に反いているはずだ。しかし、碓氷峠にはそれがある。
碓氷峠のあの風車
誰を待つやらクルクルと
あの風車を知らない者には、この俗謡の情趣がわからない。
誰が、いつの頃、この石に風車の名を与えたのか、また最初にこの石を、神前に据えつけたのは何の目的に出でたものか、それはその道の研究家に聞きたい。
一度廻らせば一劫の苦輪を救うという報輪塔が、よくこの風車に似ている。
明治維新の時に、神仏の混淆がいたく禁ぜられてしまった。輪廻という仏説を意味している輪塔が、何とも名をかえようがなくして、風車といい習わされてしまったのなら、右の俗謡は、おおよそ維新の以後に唄われたものと見なければならないのに、事実は、それより以前に唄われていたものらしい。
しかし、昔も今もこの風車は、風の力では廻らないが、人間が廻せばクルクルと廻る。物思うことの多い若き男女は、熊野の神前に祈って、そうしてこの車をクルクルと廻せば、待つ人の辻占になるという。
宇治山田の米友は、そんなことは一切知らない。米友は風習を知らない。伝説を知らないのみならず、歴史を知らない。
歴史のうちの最も劃時代的なことをも知らない。この男は、死んだお君からいわせれば、素敵な学者ではあったけれども、まだ古事記を読んではいないし、日本書紀を繙いてもいないのであります。
ですから風車のことは暫く措き、いま、自分がこうして現に立っているところの地点が、日本の歴史と地理の上に、由々しい時代を劃した地点であるというようなことには、いっこう頓着がないのです。