対州厳原港にて
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あらすじ(AIが作成しました)
博多から対馬の厳原港へと渡った著者が、島で目にした風土や生活の様子を綴る。荷物中心の不便な汽船での移動から始まり、対馬の漁業主体の産業構造や、独自の農業事情、食文化などを詳しく描写する。また、厳原港へ薪を売りに来る女の姿や、島特有の馬の様子、島に伝わる唄に触れつつ、短期間の滞在の中で観察した島の風景や生活感をありのままに記録する随筆である。
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對州へ渡るには博多から夜出て朝着く。博多へ渡るにもさうである。汽船は荷物を主にして居るのだから客少くして我々はみじめである。何處へ行つても朝鮮といふことをいふ。釜山なども對州の人が眞先に行つてそれから壹州の人間が行つて開いた相だ。北の方へ行つて見ると面白相だが船は不便だし陸路は險惡だし病人には迚も駄目だ。丈夫の人がゆつくり歩いて居るのには屹度いゝ處である。漁で持つて居る國だから百姓は下手らしい。昨日竹敷から歸りに馬車で一緒になつた百姓が肥料をすると稻が駄目になるから只作るのみだといふ。技手がついてゝさうなんだから驚く。伊勢蝦を自慢でフライにしてくれたが始めて見た。よく獲れる相だ。然し野菜は氣のきいたのは博多から來るさうだ。對馬の唄に曰く
對州名物鳶に烏又も名物屋根の石
然し鳶も烏も殆ど目に觸れず。昨日竹敷まで行つて見たが途中の民家は皆瓦葺で石を載せたといふのは少かつた。
女の馬乘脊中に籠三巾の前掛カス卷横ぐはへ
在から嚴原の港へ薪など賣りに來る女が歸りに馬上で辨當代りに横かぢりに噛るのがカス卷で、それは菓子の名である。馬は皆小さい。さうして島の産で無ければ蹄を痛めて用をなさぬ相だ。
朝干して居た烏賊が竹敷から歸りに見ると餘程鯣の臭ひになつてゐた。對州も一寸覗いただけでもう壹州へ渡るのだ、仕方が無い。今日は雨である。(六月廿六日)
(明治四十五年七月二日、國民新聞 所載)
完