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TORENDIA

ポーの片影

本文約2,300字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

ヱドガー・アラン・ポーの生涯と、批評家・芸術家としての独自の思想を論じる。誤った呼称の由来や不遇な晩年と死後について触れつつ、批判の使命を欠点の指摘に求めた辛辣な批評観、芸術のための芸術を唱えた詩論、一気に読めることを重視した創作理論を詳述する。全米で評価されながらも、敵対者による全集編纂や石碑の破壊など、死後もなお続く不幸な境遇と、後世に評価を確立したその偉大さを描く。

芥川龍之介

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🎧 ポーの片影 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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ポーとは、ヱドガー、アラン、ポーのことです。ポーは初めフランスに紹介された時分にはポーヱと呼ばれてゐました。英国人等にも、この読み方をするものがあります。けれども、ポーがたゞしいことは明かです。モ一つ名前についていへば、ヱドガーはいゝが、アランは決して彼が自ら持つてをつたものでないといふことです。つまり、アランだけは全然余計なものだといふことです。

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ポーの父はヱドガー、デビツト、ポーといひ、ポーは二男でした。その父はポー等三人の子供を残して死んだのです。で已むを得ず、ポーはジヨン、アランといふ煙学者に養はれることになりました。がポーは間もなくそこを離れてしまつたのです。だから、ポー自身は未だ曾て、アラン、ポー等と署名したことはないのです。

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アランと呼ばれるやうになつたのは、ポーの全集を編纂したグリスボートといふ男が故意に書き加へたことによつて初まつたのです。この男は、事毎にポーに反噛し、毒ついた男で、唯それだけで芸術史上に名を残された男です。(名を後世に残さんとする者は、後世に生命あるであらう芸術家に何でもかまはず喧嘩を売ることです………)

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ポーは一八〇九年ボストンに生れた人です。彼が最もよく世に知られたのは、批評家としてゞした。二十六歳の時、彼は既に立派な批評家として全米に認められました。ポーの批評は辛辣で鳴るものです。関係した新聞雑誌の数が四十幾つ、発表した論文が八百あまり、この事実から見て、彼が名文家たり得ないであらうことは窺はれますが、事実彼は、名文家ではあり得ませんでした。

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彼は文中終始最上級の言葉ばかり使用する癖がありました。だから褒める場合は九天の高きに迄持上げます。けなす場合は九仞の底まで落します。或る人の詩を批評した中に、非常な誤りばかりに充ちてゐるがその中もつとも大きな誤りは、これを印刷したといふことであるなどゝいつてをります。所が彼がけなした人と、褒めた人と、彼がいつたほど価値に相違があるとは認められないのです。

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